2012年5月15日 (火)

格安メガネの姉妹店(新大阪時計店)へ出掛けるの巻!

Imgp0016_640x469_2Imgp0022_640x477_2今回、キタ方面で仕事のため一気に前から気になっていた激安眼鏡店へ出掛けた。2本10,000円におまけの眼鏡が1本追加、決して3本で10,000円と言わへんところが大阪的商法でんなぁ!
昨年の11月21日に書いたブログ記事「3本の眼鏡レンズ付きで驚きの5,000円!」は、結構多くの方がアクセスし、随時読まれている。そのJR関西線「東部市場前」駅下車・徒歩5分の位置にある格安メガネを売る『松倉時計眼鏡(百済時計店)』の姉妹店が、地下鉄御堂筋線「東三国」駅下車・徒歩10数分の場所にある『新大阪時計店』だ。両店ともに“時計店”と称するものの店内に一歩足を踏み入れれば、そこは数え切れない眼鏡のフレームが所狭しと置かれている。時計が唯一あるとするなら入口横にあるショーウインドーの中にある熊のプーさんの目覚まし時計ぐらいしか目には入って来なかった。

店内に入れば、以前行った『松倉時計眼鏡(百済時計店)』と同じシステムとなっている。男性店員またはおばさん店員が、即座に私を捉え、「メガネを作られるんですね」「では検眼をおこなっていただきます」と検眼機の前に座らせ、顎を乗せておでこを機械につけて視力を測定。遠くへとまっすぐに走るハイウェイ、その先にある赤黒い樹木のような焦点をのぞき見して右目、左目と瞬時に視力を測定。その測定値がレシート程の紙でプリントされるとフルネームを聞かれ、その名前を用紙に書き込めば、次は何やら面接、いや診察のように名前を呼ばれて男性(眼鏡コンシェルジュ?)と対面する椅子に座る。今、かけているメガネ(百済時計店で造ったもの)を先程測定した値を確認し、「これじゃ、あまり見えていないよね」と言い、「今回はどんな用途の眼鏡が必要?」と畳みかけられた。まず外出先やドライブ用の眼鏡、そしてパソコン作業の多い事務所内での眼鏡をリクエストすれば、すかさず「これはどうかな?」とレンズを即座に選んでデモ用メガネで、目の前の文字や記号を読まされる。

Imgp0024_471x640_2Imgp0023_477x640_2確かに良く見えるようになった感じで、遠くのもの、また近くのものが見やすくなった感じである。今日は、確かに以前作った3本の眼鏡の中でも一番緩めだったがために、「不思議そうに」その姉妹店の眼鏡を見ていた。とにかくレンズが決まり、続いては眼鏡のフレーム捜しとなる。壁面、通路、天井までぎっしりの眼鏡フレームがあり、6,000円、7,000円、10,000円・・・など等、高額なものまであって不安に思えたが、6,000~7,000円程に値札が付けられた眼鏡フレームの塊から、「まずは2本のフレームを選んでいただき、そのフレーム次第では、1本のおまけがつけられます」と言う。以前の百済時計店からしては高めながら、1万円でまずは遠目用、近目用の2本の眼鏡が可能。その上に1本のおまけが別に用意されているフレームを選んで作ってもらえるわけだ。計3本で1万円の眼鏡(フレーム、レンズ込)が作れるわけだ。

どれもこれも似通ったフレームと思いきや、多少なりデザインが異なっており、迷えば限りなく迷ってしまうので、今回は第一印象を重視しながら3本のフレームは瞬時に選ぶことができた。鼻、耳にかかる眼鏡の状態を確認した上で、在庫のレンズがそのフレームにはまるかを確認し、電話番号(携帯電話)を聞かれた後、眼鏡にレンズをはめるための作業時間を30分~45分要するため、引換券を受け取る。当然、店の前で待つのも可能ながら、最寄りにあるスーパーの「ライフ」や、本と言う字が逆さまになった古本&中古ゲームソフトを販売する店に出掛けて時間を潰す。何かと古本屋で本を物色している間に時間も経ち、取って返して「新大阪時計眼鏡店」へと出来上がった3本の眼鏡をもらいに参上した。

Imgp0026_640x468土日は、多くの客でごったがえす店内も、平日の火曜、また開店(午前10時)間際に訪れたからだろうか、少し雨模様もあって店内はわりと少なめの来客となっていた。引換券を渡すと、最後の仕上げを丁寧に対応してもらい、フレームが耳や鼻等にうまくフィットしているかを確認、調整してもらった後、その展示される眼鏡の下に置かれた段ボール箱からメガネケースを3つ選ばされて、その中に新しく作った眼鏡が納められた。そして、まるでひと盛りのみかん、またはバナナを買ったように白いビニール袋に入れられて商品を受け取った。眼鏡屋は眼鏡にこだわってこそ眼鏡屋、確かに可愛い手提げの紙袋で高級感を出すのも重要ながら、その分を価格でサービスする合理的、またお得感がやはり大阪の眼鏡屋さんだと言える。2本で1万円、さらにおまけが1本。要は3本を1万円で買ったことに、1本の眼鏡が凡そ3,333円程で買えたということ。確かに「百済時計店」より割高ではあるが、2回目の眼鏡選びは、その分、落ち着いてデザインや視力にマッチングしたものを選べたから大満足である。

Imgp0004_640x472Imgp0002_640x477さて、もう一度「新大阪時計眼鏡店」の場所を確認しようと思う。連絡先は06-6393-0836で、住所が大阪市淀川区西三国1-13-7(〒532-0006)で、グーグルマップで確認すれば写真も見ることが出来るが、駅からの導線を次にご説明しよう。

1)地下鉄御堂筋線「東三国」駅(北側改札口)下車、西方面へと出口から出る。
2)出てきたところは新御堂筋の“東三国2”の交差点で、ここから進路を西に取る。交差点の角の不動産屋が目印。
3)対面にケンタッキーやマクドナルドを見ながら、その反対の右側の歩道を西方に進む。
4)途中に信号のある十字路(3ヵ所)を通過し、ただただその道を西に向かって歩く。
5)3つ目の信号の角、左手(反対側)にスーパー「ライフ」が目に入るが、そのまま進む。
6)道の行き止まりを確認し、その右側角に「新大阪時計眼鏡店」が立地している。

Imgp0012_640x479Imgp0015_640x480・・・凡そ、大人の男性であれば徒歩12分程の距離であり、新御堂筋から西にまっすぐ進む道という点では、その最初の“東三国2”の交差点を間違わなければ確実にたどり着く。

確かに「百済時計店」の3本5,000円も魅力ながら、今回の「新大阪時計眼鏡店」の対応を考えた場合、若干値がはるが格安には変わりはなく、どちらともにそれぞれの良さがあり、仕事でその近くに出掛けた際に、両店共に利用したい店であることは確かだ。今回も、大阪ならではの眼鏡屋を紹介し、もともとの大阪っ子らしく、安うて、丈夫で、得した感が強い買い物ができたことが一番である。ほんまに“眼鏡にかなった眼鏡屋選び”と言える今日のお奨めのお店。まぁ、いっぺん出掛けてみてはいかがかな・・・。

2012年5月12日 (土)

同胞(はらから)

000830000923懐かしい友(同胞)との再会と共に、久しぶりに鑑賞する映画『同胞』(DVD観賞)で、自分の初心が長年の月日で積りに積もった苦悩の土積から顔をもたげた。この分で行くと、明日からまた歩き出せそうな気がする!
昨晩、友人たちに会った。もっともプライベートで、幼なじみとでも言える小・中学校当時からの友人たちで、中学校・高校・大学、そして社会人になった当初まで続いた落研の仲間たちである。落研と言っても単に落語だけではなく、漫才、声帯模写、寸劇、漫談、奇術、喜劇などを演目・プログラムに入れ、まさにプチNGK(なんばグランド花月)ばりの寄席を行うクラブであり、さらにはフォーク全盛期にはフォークグループ(但し、コミックバンド)を提携する団体のコンサートに出演させ、また大学・短大の学園祭等にもメンバーを派遣する興行屋的な活動もしていた。さらに8ミリ映画も多数撮っており、以前、このブログでも紹介した『変態!仮面ライス』(変身ヒーローもの)を高1の頃に製作し、そして『THE AKUMA』(オカルト映画)、『吉丸亭ドラゴン』(空手映画)、『STAR QUEEN:女王星」(SF映画)等の作品を高校・大学時代に発表している。

自身はあまり固執しているものではないが、度重なる引っ越しにもめげず、その当時のライブ収録テープ(カセット)や8ミリ映画フィルム、漫才や喜劇、新作落語の台本までもがほぼ保管されている。現在、プランナーとして、また事業をプロデュースする身として、その基礎になる時期は何処にあるかと問われれば、やはり私としては、この中学時代に仲間と創った落研(キチ丸亭落語同好会、吉丸亭落語研究会)だと言えるだろう。中学当時に顧問の先生を持たず同好会として、学生たちだけで立ち上げた落研は、そのまま中学校内の芸能界の如く、年間に十数回に及ぶ大小のステージをこなし、また呼ばれれば町村の集会や祭りにも出演し、半分セミプロ、いやプロ意識を持ちつつ、仲間内でもライバル意識を持った芸人集団だったと言える。高校当時は、もはや中学校から巣立って、いまでいうNPOのような幅広い活動に参加していった。同時に様々なコンサートや学園祭、集会等に呼ばれることも多く、当然、ラジオやテレビにも出演するなどの飛躍的な活動へと発展していた。

Hanabatakegその当時の仲間は、私も業界での下積みに入ると同時に、それぞれのメンバーも各自、孤軍奮闘の中で、それぞれに私の知らない仲間や上司、また業界・業種で、一人前になるプロセスを踏むために自動的に解散する憂き目を見たと言える。本当のところは、今も正式な“解散”はなく、細々と首の皮一枚でつながった状態であり、そんな当時からの仲間でプチ同窓会(寄合酒)が行われた。と、言うのは半分蒸発にあった私の相方(漫才、フォークグループ等)がばったり、もう一人の最も古くから知る仲間に街で出くわし、連絡が取れるようになったのが今回の集まりの切っ掛けだったのである。第一報が届いたのは、その小学校からの友人(落研メンバーの一人)からで、その後に消えていた相方から突然メールが届いたというもの。そのことで久々に仲間を集めての飲み会に発展したが、まさに30、35年近い時間の経過は、それぞれメンバーの連絡は途絶え、結婚や引っ越し等により、この相方どころか全ての仲間が蒸発状態にあることが確認できた。よくよく考えれば、その肝心要の私自身が、すでに引っ越しを8回以上繰り返しており、もはや年に一回の年賀状すらも途絶えれば、この私自身が蒸発した状態に受け取られているのだろう。

まぁ、ここ数日間は、そんな懐かしい顔ぶれが集まることもあり、少し心の奥底に仕舞い込んだ“思い出箱”を開けてみた。とは言うものの、最近のブログは既に晩年を迎えたような過去のアイドルや歴史(自分を含めた祖先の成り立ち)、思い出を書いているケースも多く、どうかしたように後ろを振り返ってもいる。若い頃(今も若いつもりだが・・・)は、現在という立ち位置にいながらに、過去よりも未来の時間的奥行きが見えないほど先へと続いており、何も恐れず、何も不安がらずに突進していたが、ふと人生の歩を停めて今、立ち止まり前を見れば、それほどに未来が可能性を帯びて伸びているようには見えず、真っ暗な暗闇の先の光に向かってとぼとぼと歩いて行くようにも感じる。天職という職業についたものの、もっと違った職業や人生を歩むことも出来たはずが、なぜ今、自分はこの生き方を進めているのかが分からなくなるほどの日々の謀殺すらもある。老い先の短い年寄りは、確かに過去の足跡を振り返れば、若い頃に感じた奥行きを過去に感じ、さらにはDNAや血縁でつながる自分のルーツとして、この日本や日本人(または人類)の歴史(古代)まで辿りたくなるものだ。

同胞と書いて“はらから”と読む。広辞苑でその意味を調べると・・・「①同じ母親から生まれた血縁。転じて、兄弟姉妹。②同国民、どうほう。」とある。今回集まった仲間、集まることの出来なかった懐かしいメンバーも、母親は違えども兄弟姉妹のように同じ方向に寄席、コンサート、映画等を創った血縁以上の絆を持っており、何よりもその苦楽を共にした過去の記憶と記録は今に残っているだけに、同胞(はらから)という仲間関係が言えると思う。確かに毎日、日常茶飯事その記憶を呼び起こしてはいないが、何かふとした切っ掛けで蘇る思い出に違いない。同じ目的意識、同じ苦楽の時空を共有し、目標を達成した時の喜びはひと塩である。それは地域振興に伴う事業推進やイベント、MICE等の企画・制作、運営・管理等においてもその同胞を仕事仲間に感じるときがある。信頼し合うこと、それぞれにプロフェッショナルな持ち場を任し、任されることの喜び、そして実施する事業の受け手側(クライアント、消費者=生活者=参加者)が愉しみ、喜び、納得して満足を得た時にこそ、送り手側の「やって良かった!」という気持ちが湧き上がる。

Img_1026577_15490602_0プランナー人生の節目、節目の中、ふと立ち止まった時に何本かの観たい映画があり、その中の一本として松竹映画『同胞(はらから)』がある。山田洋次監督の民子三部作の第三作目として創られた作品で、高度経済成長期にあった1970年代をまるでドキュメンタリー映像として捉えたようなリアルな物語が展開する『家族』『故郷』と共に、私の好きな山田洋次の名画の一本である。現在、この懐かしい映画(1975年制作・松竹映画)は、レンタルDVDショップで貸し出されており、簡単に観ることができるので是非暇な時にご覧いただきたい。ここには、いまも抱える地域振興としての地元民の文化意識や異世代コミュニティ等が描かれ、また地産地消や地域ブランド作りなどの苦悩すらも見て取れる。そして若い頃に、私がイベントのパッケージを売り歩き、また進行、運営管理した裏方の苦労すらも丁寧に描かれており、この苦楽を知るには最適な一本として業界を歩こうと考える人々には良き虎の巻になると言える。時代的には37年前にもなるが、ある意味、現代とそう代わり映えの無い営業スタンス、事業の運営管理が描かれている。まずは、少々長めながら下記に映画『同胞』のあらすじを書く・・・

●岩手県岩手郡松尾村は岩手山の北麓、八幡平の裾野に広がり、四つの集落からなっている、人口7200、戸数1700の村である。斉藤高志(寺尾聰)はこの村の青年団長で、酪農を営んでいる。兄の博志(井川比佐志)が盛岡の工場に通っているので高志が農事の全てを切り回している。村の次・三男のほとんどが都会へ出て行き、残った青年たちも東京・大阪方面へ出稼ぎに行って閑散としている三月半ば、松尾村を一人の女性・河野秀子(倍賞千恵子)が訪れた。彼女は東京の統一劇場のオルグとして、この村のミュージカル「ふるさと」公演を青年団主催でやって欲しいと、すすめてきたのだ。秀子の話を聞いた高志は、公演の費用が65万円かかるため、青年団の幹部が揃う春になってから理事会を開いて検討することを秀子に約束した。

131867781235013127661_2011101520233五月、桜が咲いた春。青年団の理事会が開かれたが、公演費用に責任を持ち兼ねると言う強硬な反対意見が出された。何度も理事会がおこなわれ、意見の交換が繰り返された。しかし、高志の「赤字になったら俺が牛を売って弁償する」との一言で、公演主催が決まった。夏が来た。目標650枚の切符が、青年団全員の必死の活動で目標をオーバーするまで売り切った。公演三日前、会場に予定されていた中学校の体育館が、有料の催物には貸せない、と校長(大滝秀治)に断られてしまった。急を聞いて秀子が盛岡から飛んできたが、校長の答えは変わらない。秀子は遂に最後の条件を切り出した。「無料ならいいんですね」「勿論です」無謀とも思える秀子の提案。しかし、秀子は、自分たちは金儲けのために芝居をしているわけではない、無料で公演するのは苦しいけれど、芝居を楽しみにしている人たちのために中止することはできない、と言って校長室を出た。今回に限り特別に許可する、という校長の許可を聞いたのは、秀子が校門を出てすぐだった。公演は大成功だった。千人を超える人々が集まってくれた。劇団員の歌うお別れの歌を青年達は泣きながら聞いた。八幡平に秋が来た。山肌は紅葉に色取られ、遥か彼方、岩手県の頂上には、もう初雪が白く光っている。


・・・少しネタバレもバレバレなあらすじながら、何度も青年団幹部達が検討会を開き、自分たちが主催して統一劇場のミュージカルを開催すべきかどうかを検討したり、また開催することが決まった後のチケット販売やプロモーション、開催時の会場押さえ、運営組織づくり、出演者やVIP等の接遇や駐車場・託児所、送迎関係等の段取りなどが細かく描かれている。何よりも実際に劇中に登場する劇団「統一劇場」は、ふるさとキャラバンと称して全国の地方都市を巡り、時代にマッチした独自のミュージカルを開催していただけに、その搬入や仕込み、搬出時の臨場感はそのままに劇団、イベントの舞台裏を見せている。まさに、この映画は一つのミュージカル(芝居/イベント)を販売、交渉、主催(実行委員会設置)、準備段階、受入、運営管理、事後対応まできめ細やかに事業の流れを描いている。規模や期間、動員人数、対応エリア(領域)に違いはあるが、概ね事業の実施計画が読み取れるというものだ。

私も過去に数え切れないイベント、博覧会等の事業に携わったが、冒頭にある学生時代の仲間と共に映画『同胞』の中にある情熱を感じつつ、苦しくも楽しめたイベントづくりが懐かしい。まさに初心を思い出すには絶好の映画であり、自身の忘れていたイベント魂、プロデュースする上での心の持ちようが思い出されるというものである。この映画の中、ようやく自分の村でミュージカル公演が決定し、その冒頭にて青年団会長のあいさつを行う高志の言葉の中に、「この村は広いです。しかし、どこまで村人はこの村のことを知っているだろうか。また、今日このように村人が一堂に会して集まれたことが一番嬉しいです」というシーンがあり、少子高齢化が進み、過疎の町村が増える現代、地域振興(地域活性化)が問われる今、この地元民の意識改革が何よりも重要であることを今から37年前の映画『同胞』は言い当てていたのである。

Image555まさに事業開催を決断する高志の「赤字が出ればベコ(牛)を売っておらが責任を取るべ」というセリフや、会場となる中学校の体育館が有料催事は出来ないと断った際に、劇団の営業担当の秀子が「では無料開催なら許可いただけますね。私たちは赤字覚悟で開催します」と言うセリフもこの映画では大きなインパクトを放つ。確かに私自身も、これに類するセリフを実際の事業運営の中で口走ったことも数多くあり、いきがってみるのはいいがやはり赤字はつらいものがある(笑)。実際にビジネスを考えれば、収支バランスも存在し、利益を残さなければ決してプロではないもので、情熱だけではこの業界生きていけないと言えるからだ。確かに地域活性化やイベントの企画運営において、この映画はとても大切なことを教えてくれるし、また、その失敗と成功が紙一重であることも描いている。青年団のメンバーは、この事業が終われば日々の暮らしに戻れるが、このような事業を連続的に行う営業担当の秀子は、やはり松尾村の公演が終われば、また次の公演先となる地方都市の青年団に営業をするわけだ。一回、一回に喜び、達成感もあるが、それが100%の完璧とせずに、また一から組み上げながら、さらに高みを目指してこそプロであることも認識させられる。それが映画のエンディングに描かれていることも付け加えておこう。

●参考資料/フリー百科事典『ウィキペディア』、goo映画「同胞」解説より抜粋。

2012年5月10日 (木)

地元探訪[佐紀盾列古墳群]その⑦

P3200039_640x468◎だだっ広い平城宮跡の北側にある佐紀町、そこに1360年前に創建された神社が鎮座し、また「薬子の変」で翻弄され続けた平城天皇(上皇)の楊梅陵があった!
偶然かもしれないが、場合によっては必然かもしれないことを口走ったり、また関連する本を読んだり、その地を旅したり、企画やブログを書いていたりもする。もちろん、そこには様々な人との出会いや交流、さらには情報を得たことが潜在的に関わっていることが多い。何を言いたいかと言えば“予知能力”である。未来に起こることを先に察知するということ。例えば睡眠時に見た夢が現実になることも少なくない。夢の中で牛乳を飲み、パンを食っていたとする、やはり朝、そのように朝食を取る自分がいる驚き・・・いや、例がまずかった(笑)。いつもの日常の行為は、別に予知夢に見て、それが予知夢と理解する方が悪かった。まぁ、ある種の意識をしないうちに何らかのメッセージを自らが発し、また自身が受け取っている“予知能力”があったことを最近に驚かされている。

ブログの中に2009年10月8日「世知辛い世の中で座敷わらしも退散!」というのがあるが、これは、あの東北(岩手県二戸市)の金田一温泉『緑風荘』(五日市和彦さん経営)が10月4日に火災にて全焼したニュースを書いたものだ。単に旅館が一軒、室内用ボイラーの加熱で引火して燃えたに過ぎないが、そこがマスコミなどでも注目されていた3年先まで予約が詰まった“座敷わらし”が出ると言う旅館だったから大騒ぎだった。人々の出世や幸福を運ぶ座敷わらしが、自らが棲みついた旅館を全焼させ、姿を消したことに注目し、その2009年に起こった皆既日食、芸能界麻薬汚染、政権交代、東京五輪落選から、とてつもない方向に進む日本を警鐘するニュースと受け止めていた。案の定、その後の2011年3月11日の東日本大震災が起こり、また福島第一原発の事故、そして放射能に伴う現在の原発問題の火種を起こしたと言える。座敷わらしの棲む旅館の単なる全焼というメッセージは、今思えば東北に降りかかる大きな災いを教えてくれていたと言えるだろう。まぁ、古いブログではあるが興味があれば一度読み直していただきたい。

P3200022_640x480P3200024_640x480さて、近鉄橿原線「尼ヶ辻」駅近くの「垂仁天皇陵」を前回は紹介したわけだが、再び「大和西大寺」駅を東に向かって自転車を走らせ、平城宮跡を突き切って平城宮跡資料館の前を素通りにて北に進めば、道路を越えた北側は佐紀町となる。まずはここから“佐紀盾矛古墳群”の残りの遺跡めぐるをスタートさせる。自転車は日頃、マンションのベランダに置いており、いつの間にかタイヤの空気が無くなってペコペコになっている。今回の探索に合わせて空気を入れたものの、自転車を止めて自立するスタンドが壊れており、いちいち壁際に寄りかかって止めるしか方法がないのである。ある程度、平城宮跡から走ったところに神社を発見する。それが「佐紀神社(さきじんじゃ)」で、御前池を境に東西に二つの「佐紀神社」が存在する。まずは西側にある「佐紀神社(西畑)」から詣でることにした。自転車は、その鳥居を潜ったところの石垣に寄りかかるように倒れさせた。そのままに手水舎にて作法に則り、手を清め、口をゆすぎ、柄杓を洗い納める。まずは禊(みそぎ)をすませて、拝殿へと進む。

この西畑の「佐紀神社」は、御前池の西、小字西畑に鎮座。池を隔てて東の小字亀畑にも佐紀神社がある。ご祭神は、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、六御県命(むつのみあがたにいますみこと)の三柱。由緒は不詳ながら、「平城旧社考」によると、亀畑の佐紀神社を分祀したものといわれている。鳥居前にある『式内佐紀神社』の石標によれば、「延喜式」神名帳添下郡の『佐紀神社』とされる。例祭は10月10日・・・寺院神社大辞典(大和・紀伊)からの抜粋。

P3200026_640x465P3200027_640x472もちろん拝殿や舞殿等があるが、その建造は今から1300年前では到底なく、江戸後期、または大正・昭和期に建てられた新しさを感じた。確かにこれが1300年前の建造物なら、その保存や取扱いがそんなに無頓着に扱われている筈もなく、旧社格は村社であることからもそのことが言える。但し、この神社の真向かい、南側にはあの平城京の大極殿があったのは確かであり、もちろん平城京の敷地内にあったと言えるだけに、建物ばかりに目が行きそうだが、その土地そのものの存在感はまぎれもなく古代ロマンを感じずにはいられない。先にも書いた通り、「佐紀神社(亀畑)」からの分祀ながら、ここには奈良時代の人々の足音、息づかいさえもが聞こえてくるような静寂なる空間が広がる。

P3200032_640x473P3200034_640x474この佐紀には、御陵が多いこともあって、同時に濠や池が多く、その水際を歩くことでの涼しさを感じる。その意味で、佐紀盾列古墳群でお薦めしたいのはやはり、前方後円墳の鬱蒼と茂る樹木と、濠や池の水辺の環境だろうか。まず訪れた「佐紀神社(西畑)」を北に上がれば、すでに紹介した日葉酢媛命陵、成務天皇陵、神功皇后陵へと通じる。今回は、前の道をそのまま東に歩を進める。御前池、佐紀池に挟まれた道を少し行くと、またまた「佐紀神社」が現れる。ここが“式内社”で、天武白鳳3年(652)創建で、大和6御県の一つとされる「佐紀神社(亀畑)」である。御祭神は、先程の西畑と同じで、天児屋根命、経津主命、六御県命の三柱をお祀りし、社伝によると天武2年(673)に鎮祀し超昇寺(現奈良市)の建立と同時に鎮守神として尊崇され、貞観元年(859)には社殿を改修、寛平3年(891)に官社に列し超昇寺が別当寺とされたが、治承4年(1180)の兵火により焼失した。文治6年(1190)に再建、天正6年(1678)再度兵火にて焼失したと言う。
境内には市杵姫神社・大国主神社の二末社があり、これらは超昇寺僧の鎮守神で、同寺廃絶後、明治頃に当社内へ移される。例祭は10月10日。この神社については『大和志』に「在超昇寺村・今称大宮」と記されている・・寺院神社大辞典(大和・記伊)から抜粋。

この「佐紀神社(亀畑)」には、幾つかの貴重な宝物があり、すでに博物館に寄贈されているが、そのリストが鳥居前の立板に書かれていた。高麗犬、緑杖、摩利支天像、日光菩薩十二神将像、月光菩薩十二神将像、十二天像、赤童子像、法華経普門品等の名がある。ここにも神仏習合の神社の存在が読める。もともとの古代神道だけで現代まで伝わることは少なく、仏教伝来とともに日本信徒に歩み寄り、また神道もその仏教を抱き込んでのお互いの良いとこどりで共に存在し続けた過去をみるわけだ。それはある意味、縄文人が暮らすこの国に弥生人という渡来人が押し寄せて、共に混ざるい合いながら人種や文化・文明を築いたことにもつながる。また神武東征(九州から天皇がヤマトに入って来た)以前は、まったく神話のみでしか描かれていない記紀の描き方にも良く似ており、もともとヤマトにて国を治めていた豪族、先の王家、その者さえもが混同されながらあいまいに描くものにも似ている。今年は「古事記撰上1300年」の節目であり、その記紀以前の神話でない真の日本を知りたいという少々やっかいなことを考えているわけだ。まぁ、この話はまたの機会にし、この佐紀神社を後にして次に進もう・・・と思う。

P3200038_640x478P3200041_640x479平城宮跡に近年完成した大極殿が一番大きく見える北側にあるのが「平城天皇陵」である。この平城天皇は、あの平安遷都を行った第50代の桓武天皇の長男であり、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで三筆と言われた嵯峨天皇の兄にあたる。嫁(皇后)の義母である藤原薬子や藤原仲成等にそそのかされて、腹違いの弟である伊予親王とその生母藤原吉子を幽閉し、死に至らしめた後、その怨霊に気を病んで弟の嵯峨天皇に即位を促し、隠居をしたはずが、またまた薬子により上皇となって、都も平城京に戻ろうとした。国を治める2人の帝、そして二ヶ所に都(平城京、平安京)により「薬子の変」が起こったことは歴史的にも有名である。この事件の顛末は、テレビドラマや映画でも何回か渡り取り上げられており、平城上皇側は、嵯峨天皇が送った田村麻呂の率いる精兵によって鎮圧され、上皇は宮で髪を剃って仏門に入り、また薬子は毒を仰いで自らその命を絶つ結果となった。

そんなお騒がせな人物だからではないだろうが、「平城天皇陵」は死後、古代に築造されたこの古墳に葬られたのである。前方後円墳の形をとどめておらず、単に円墳としての小さな御陵であり、また周りを巡らせる濠すらも存在していない。まったく無防備な古墳と言える。ここに入れられた平城天皇もさることながら、突然、もともとそこに葬られていたお墓の主(きっと豪族の高い地位の者)こそ、驚いただろうし、「なんで入ってくるねん」と戸惑ったに違いない。空海や最澄と同じ時代を生きた天皇ながら、その功績の無さ、情けないほどに藤原薬子に牛耳られていた話ばかりが残されてはいるが、死ねば誰もが神様として祀られる我が国の習慣(靖国神社等の祀り方)を考えれば、きっと合点が行くだろう。生前に悪い行いをしようが、良き行いをしようが、死んだ後は「神」として、また「仏」として祀ることは、般若心経の“空”そのものの教えや意味とも通ずる。仏教にあらずとも日本神道には、まさに八百万の神々や何処にも神や精霊が宿ることを説いており、その考え方を理解できればもっと住みやすい世の中になるのじゃないかと思う。

P3200051_640x479さてさて、自転車を走らせて佐紀盾列古墳群をめぐる探索は、いよいよ佳境に進んでいる。今までの御陵さんや神社にて感じたこと、また、古墳と言う現代へのメッセージが何かがおぼろげに見えて来た感があるシリーズの7回目。いま書いている5月のゴールデンウィーク明けよりも早い、早春の時期に巡った佐紀町界隈の写真を添付しながら、日の出(いずる)国の早期の復活を願うばかりである。その意味で、平成25年度の伊勢神宮第62回式年遷宮や出雲大社大遷宮の来年に向けた復活への準備が急がれるだろう。ハァ、忙し、ハァ、忙し・・・次回につづく。
●参考資料/歴史と旅・臨時増刊「歴代天皇総覧」(秋田書店)より一部引用。

2012年5月 6日 (日)

ただいま読書真っただ中・・・読書間奏文(後ⅳ)*完結

P5050019_640x477本を読むことは、その作家が描いた物語やシチュエーション、世界観を忠実に描くものではなく、自身のイマジネーションでそれを超越することの面白さかもしれない。まさに自身に試される記憶と創造の自己表現世界と言える!
突如、空が掻き曇って、雷鳴が遠くで轟き、激しい雨音が窓の外にしている。今日は不安定な天気であり、ゴールデンウィークの最終日ながら行楽地やイベントに出掛けた人には少し的外れな一日にならなければいいのだが・・・と思う。昨日は、久々に事務所を飛び出し、車でちょっと隣町まで行ってくると言ったノリで、滋賀の信楽まで出かけた。西名阪沿いから車を走らせ、伊賀、甲賀と言う忍者の里を通りながら、信楽町へと山道を走る。昨日は快晴で、澄んだ空気の所為か山肌の新緑がキラキラと輝き、PC相手に疲れた目が新緑を見ることで癒された。疲れた時はこのようにドライブがてら、近隣府県の地域イベントを見ることも目的に山間の道を車で走ることにしている。

Hi3e0198_640x480さて、「・・・読書間奏文」も最初は前・中・後の三回で終わるはずが、気が付けば(後)を4回も書く羽目になった。あくまでも趣味の読書として楽しみながら読む本の紹介であり、これ以外にも別なる趣味・研究・独学での本(歴史本、占い本、古文書等)や仕事上で買い集めた資料の本も多く読むが、その幾冊かは古本屋に流れ、そのまま事務所(作業場)においていれば、今以上に足の置き場もないだろう。法人(会社)を経営していた際も、十数年の間に部屋の壁に並ぶ本棚や押し入れ、使わない風呂場には多くの書籍が押し込まれ、ちっちゃな本屋ほどの冊数があった。引っ越しの度に、苦労するのはその書籍の移動であったり、紙でプリントアウトされた昔からの企画書(数千部)の持ち運びは、あまりにもその重量に四苦八苦したものである。今の作業場にも多くのPC、OAの他に、イベント用品や個人の趣味の保管で場所を撮っている以外は、壁際に並ぶ本棚の中にあるぎっしりの書籍と企画書が重くのしかかっている。このマンションの一室は3階にあり、いずれ床が抜けないかと周りに心配されている。(*今、大きな雷鳴が轟いた・・・)

さて、お奨めの本を書くなら、まずは三崎亜記『バスジャック』『鼓笛隊の襲来』共に集英社文庫)だろうか。1970年福岡県生まれ、熊本大学文学部史学科卒業。2004年、『となり町戦争』で第17回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。ここで紹介した2冊は共に『バスジャック』7篇、『鼓笛隊の襲来』9篇による短編を集めた作品である。その中で、『鼓笛隊の襲来』は不可思議で面白い作品だ。内容をいつも通り表4(裏表紙)にある解説から紹介する・・・

P5060029_640x480●赤道上に発生した戦後最大規模の鼓笛隊が、勢力を拡大しながら列島に上陸する。直撃を恐れた住民は次々と避難を開始するが、「わたし」は義母とともに自宅で一夜を過ごすことにした。やがて響き始めたのは、心の奥底まで揺らす悪魔のような行進曲で・・・(『鼓笛隊の襲来』)。ふと紛れ込んだ不条理が、見慣れたはずの日常を鮮やかに塗り替えていく。著者の奇想が冴えわたる、驚異の傑作短編集。

また、この本の帯で推薦文を書く女優の栗山千明の言葉はこうだ・・・
●「忘れている記憶はありませんか?あなたも、この本の主人公かもしれません」
近過ぎて気づかない存在や感情がある。同じ場所にいても人はそれぞれ見ているものが違う・・・当然な事のようだけど、なかなか実感できない事を、9つのストーリーを通して体感できました。私もこの本を読んで、今こうして構築されている自分は、今まで、どのような人や物と出会い、どのような感情を生んできた結果なのか、自分自身を振り返ってみたくなりました。そうすればもしかしたら、作品の中の主人公のような体験ができるかもしれませんね
―栗山千明

・・・以上の解説があるが、読書と言うのは、自身の中にある体験やイマジネーションを引き出し、活字の羅列を頭の中で意味やイメージに変えながらその世界観や主人公、登場人物の心像を捉えようとするもので、同じドラマや映画を観ればブラウン管やスクリーンを見ればいいものの、本は自身の心やまた脳裏に立体的な現実、非現実等の夢想を見るようなもので、一人遊びの典型的な文芸行動と言える。企画をする身なれば、その言葉や条件、無から有を創り出す際のトレーニングには格好のものと言える。よくテレビ番組の改編時期に放送される『世にも奇妙な物語』でも取り上げられそうな短編のミステリー、ファンタジーが、この『バスジャック』『鼓笛隊の襲来』には多く納められており、朝夕の通勤通学時には読みやすい作品と言えるのが作家、三崎亜記だろう。“亜記”と書くので、一瞬、八代亜紀のような女性を想像しがちだが、三崎亜記は男性である。

さて、同じ短編集でも珠玉ホラー&ファンタジー5篇を集めた『チヨ子』光文社文庫)が面白い。作家は、各賞を多数受賞し、テレビでの特別ドラマなどでも数多く使われる宮部みゆきである。イベント企画の中、街のいたるところを回遊させ、また周遊させる方法としてラリー方式をよく使う。もちろんスタンプラリーやクイズラリーと言った定番ものもあるが、私が過去に多くのイベントにて創作したラリーは、“ミステリーラリー”で、一つの事件を切っ掛けにその真相(犯人探し、アリバイ崩し、消えた財宝さがし、凶器と殺害方法等)を探して、各ラリーポイントを巡るというもの。そこにはミステリー事件をオリジナルで書いており、その意味からもホラー&ミステリーは自身の仕事と趣味の領域と考えている。そのことでも、多くの本を読むことにしている。確かに「名探偵コナン」やテレビドラマなどでのサスペンス、ミステリーものは多いが、如何にそれらの殺害方法やアリバイと違った奇怪なる仕掛けを考え出すかが重要。その意味で、本『チヨ子』に収録されている5篇は、どれも興味深いものばかりである。

P4290002_472x640そして、2012年本の雑誌増刊国内ミステリーでダントツの第1位(*日本推理作家協会賞・短編部門)に輝いた『傍聞き(かたえぎき)』双葉文庫)は、1969年山形県生まれ、筑波大学第一学群社会学類卒業の作家、長岡弘樹の傑作4篇の短編を集めた本だ。この4篇は短編と言えるが、またその中にある壮大なドラマ性は、実際に1本の映画になるほどに内容も濃密と言えるだろう。特に最初に収録されている「迷走」は、救急車の迷走を捉え、実際にその救急車で搬送される男と、さらには救急搬送を拒んだ医師(開業医)、そして救急隊員である体長と部下3人が登場するだけの話だが、意味もないように救急車は患者を乗せて病院を多少たらい回しされ、そして自らがタイミングを見計らってぐるぐると目的地の病院のまわりを回る行動に出る。そこには救急搬送のベテラン隊長の長年の勘と機転が働いていたことに最後は驚かされる秀作だ。このように救急隊員をはじめ、刑事、消防士、犯罪者更生施設職員などの話が収められ、事件との関わり合いの中で人間模様が丹念に描かれている。

P4290020_479x640そして、第18回日本ホラー小説大賞受賞作『穴らしきものに入る』角川文庫)は、作家の国広正人(くにひろまさと)の作品で、その内容の摩訶不思議さが目立つ作品である。収録されているのは「穴らしきものに入る」「金骨」「よだれが出そうなほどいい日陰」「エムエーエスケー」「赤子が一本」と5篇、どの短編も奇妙な話になっている。先に紹介した長岡弘樹とはまた違った世界観が読み取れる。特にここまで漫画チックで、遊んじゃっていいのか、と言いたくなるが、確かに突飛もない発想がユニークで面白い。またまた、表4(裏表紙)から解説を記載したいと思う・・・

●ホースの穴に指を突っ込んだら、全身がするりと中に入ってしまった。それからというもの、ソバを食べる同僚の口の中、ドーナツ、つり革など、穴に入れば入るほど充実感にあふれ、仕事ははかどり、みんなから明るくなったと言われるようになった。だが、ある一つの穴に執着したことから、彼の人生は転機を迎えることに。

・・・この解説を読んだだけでも奇妙であり、唐突に穴があったら入りたいと言う物語は、ばかげていると言えるが、それを第18回日本ホラー小説大賞に選んだ見識者の決断こそが素晴らしいと言える。また、この本に収められた作品の中で「よだれが出そうなほどいい日陰」は、生計を立てる上で働かなければならず、それもヤクルトンを配るヤクルトンレディーで、上から下まで黒づくめの出で立ちで、まちの日陰を捉えた地図を作り、一切の直射日光にあたらぬように配達をする話であり、その奇妙さから子どもからブラックヤクルトンレディと気味悪がれ、その子どもを叱ったことで、様々な計画や計算が狂いだすと言う話である。なぜに日陰を選んで過ごすのか?・・・その疑問が最初にあるが、読み解くうちに見えてくるさらなる奇妙な話など、「よだれが出そうなほどいい日陰」は面白い。

P4290013_479x640そして、ひとまず最後に紹介する本になるのが映画化も決まった『カラスの親指』(道尾秀介/講談社文庫)だ。道尾秀介(みちお・しゅうすけ)は1975年生まれ。2004年『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、デビューした作家である。その後は数々の賞を受賞すると共に意欲的に執筆活動を続けている。この若い作家の力作と言える『カラスの親指』は第62回日本推理作家協会賞受賞作品となり映画化も決定した。文庫本ながら少々分厚く、510ページ程もあるが、読みだせば一気に読み切るほどにのめり込む作品ある。物語は・・・

●人生に敗れ、詐欺を生業として生きる中年二人組。ある日、彼らの生活に一人の少女が舞い込む。やがて同居人は増え、5人と1匹に。「他人同士」の奇妙な生活が始まったが、残酷な過去は彼らを離さない。各々の人生を懸け、彼らが企てた大計画とは? 息もつかせぬ驚愕の逆転劇、そして感動の結末。道尾秀介の真骨頂がここに。

・・・なんか面白そうでしょう。この映画化が20世紀フォックスにより現在進んでおり、今秋には全国封切りが予定されている。この物語の主人公であり詐欺師役を阿部寛、またその相棒が奇妙なことに吉本興業の芸人・村上ショージが抜擢され、この他に共演として石原さとみ、小柳友、能年玲奈等がキャスティングされている。このハリウッドメジャーの20世紀フォックスが本格邦画プロジェクトの第2弾に選んだだけの作品『カラスの親指』であり、是非とも映画が上映するまでには読破いただきたいものである。

とにかく本は、電車の中で見渡せば必ずと言っていいほど座れた乗客の幾人かが手にし、また立ってつり革を片手に、もう一方の片手には文庫本を持って読む人が目に付く。どこでも、時間が許せばすぐに本を開こう、物語の時空に飛び立とう。ブックトリップと言えそうな1冊の本の世界に身を置く面白さ、楽しさが最近は湧き上がる。本屋を訪れ今月の新刊を見つけ、その裏表紙や帯に書かれた解説や宣伝文を読みながら品定めをする時間を大事にしている。中にはアマゾンなどでの通販で購入する本もあるが、だいたいは本屋に出向く。まさに本屋は、学生時代から、宝島、ワンダーランドの世界である。またの機会に、いい本がみつかったら、また読んで満足した時にこの「読書間奏文」をしたためようと思う。まずはTHE ENDである。

2012年5月 4日 (金)

地元探訪[佐紀盾列古墳群]その⑥

P3200019_640x476◎『古事記』『日本書紀』に登場するイクメイリビコ(第11代 垂仁天皇)は、偉大なる崇神天皇を継ぎ、神祇祭祀の基礎を固め、殉死の制を廃止したと伝えられる三輪の大王である。
近鉄奈良線「大和西大寺」駅は、奈良線、京都線、橿原線等の起点となる駅で、ここは平城宮跡や佐紀盾列古墳と隣接し、今は通勤・通学に便利のいいベッドタウンとして年々マンションが建ち並んで来ている。前回では一旦、山陵町界隈の御陵や神社をめぐり、その謂れなども紹介してきたが、今回は「大和西大寺」駅から南、近鉄橿原線で次の駅となる「尼ヶ辻」駅近くにある垂仁(すいにん)天皇陵(宝来山古墳/227m)へと出掛けて見た。この宝来山古墳がある現・尼ヶ辻町は、古代の佐紀の地に含まれないが、垂仁天皇の「菅原伏見東陵」として宮内庁書陵部畝傍監区事務所佐紀部事務所が管理しており、奈良市街周辺の古墳を一括して総称する場合、便宜的に佐紀盾列古墳群に含まれる。

すでに紹介している佐紀盾列古墳群には、三人の皇后(日葉酢媛命、神功皇后、磐之媛命)と女帝である孝謙・称徳天皇の御陵があるが、今回紹介する垂仁天皇は、日葉酢媛命の夫であり、古事記や日本書紀にも多く登場している。正式な名前は伊久米伊理毘古伊佐知命(イクメイリビコイサチノミコト)と称し、あまりに名前が長いのでここでは垂仁天皇と呼ぶことにする。その記紀に登場する話の中に「サホビコの謀反」というのがあり、その物語は次のような話である・・・

P3200005_640x473P3200009_640x479●天皇は皇后のサホビメ(日葉酢媛命)をとても愛していた。そのサホビメにはサホビコという兄がおり、この兄こそが皇位を狙う野心家であった。ある時サホビコは妹のサホビメに「夫と兄とどちらが愛しいか」と尋ねた。妹が「兄さまです」と答えると、なんと「私とお前で天下を治めよう。天皇が眠っている隙に刺し殺せ」とそそのかした。
数日後、サホビコの陰謀など露知らず、天皇はサホビメの膝枕で眠っていた。サホビメは好機と考え刀を振り上げたものの、天皇への愛しさが込み上げ涙がこぼれる。目を覚ました天皇が「沙本の辺りから雨が降り、蛇が首に巻きついた夢を見た」と言うと、サホビメは観念し、兄の陰謀を打ち明けた。

●垂仁天皇はすぎさまサホビコを攻め、砦を取り囲んだが、またしても不測の事態が起きる。身重のサホビメが兄の砦の稲城(いなき)に駆け込んでしまったのである。
サホビメはほどなく御子を産むと、愛する皇后を取り戻したい天皇は、御子を引き取るときに彼女も連れ出そうと考えた。だが、天皇の気持ちを知っていたサホビメは、衣服や髪に細工を施し、捕えられないようにしておいたため、奪回に失敗する。そこで、天皇は情に訴えた。后に「子の名前は」と問う。「火の中で生まれたのでホムチワケに」と答え。「養育方法は」「後任の后は」と食い下がったが、彼女は戻ることなく、兄と共に滅び去ったのである。


・・・もともとサホビメとサホビコは、佐紀古墳群の近くの沙本(佐保)付近の豪族であり、サホビメ(日葉酢媛命)は佐紀盾列古墳に葬られたわけである。この垂仁天皇は第十一代の天皇として、神祇祭祀の基礎を固めた天皇であり、伊勢神宮の創始者とされる。詳しく述べれば、垂仁朝では皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)に天照大神を托け、倭姫命は大神の鎮座すべき土地を求めて近江から美濃を廻り、伊勢国に至って大神の神託のまにまに社を五十鈴川の川上に建てたと伝えられている。

P3200001_640x470P3200015_640x480さてさて、実際の垂仁天皇陵に話を戻し、自宅から自転車で南に一直線に走って10分足らずで近鉄橿原線「尼ヶ辻」駅付近に広がる大きな御陵に到着する。この巨大な古墳の廻りには濠がぐるりと張り巡らせ、そのうっそうと茂った前方後円墳の森を垣間見れば、そこに大きな鳥が樹木にとまっているのが見える。この古墳をよくよく見れば、その濠の中に円形の島がうかんでいるのに気づくだろう。それは垂仁天皇陵の倍塚として伝わる「タヂマモリ塚」というものだ。ここには次のような話がある・・・

●垂仁天皇は晩年、不老不死を望み、臣下のタヂマモリを常世国へと遣わした。常世国に生えると言う不老不死の霊薬、トキジクノカクの木の実を探させるためだ。常世国とは古代日本人が海の彼方にあり、不老不死と豊穣をもたらすと考えた理想郷で、『日本書紀』によると、西域にある「弱水」という河を渡ったところにあり、往復十年かかると言う。さらに神や仙人が住む場所とも考えられていた。ここには中国から入ってきた神仙思想の影響が見られる。

●タヂマモリは長く苦しい旅の果てにようやく常世国にたどりつく。その実をとって、縄に下げて輪にし、また串に刺し通して急いで帰った。ところが帰ってみれば、あれほど木を求めていた天皇はすでに亡くなっていた。悲嘆に暮れたタヂマモリは、持ち帰った実の半分を皇后に捧げると、残りの実を天皇の陵の前に捧げながら、「トキジクノカクの木の実をもって参上し、おそばにお仕え申し上げます」と絶叫。号泣して息絶えてしまった。そのトキジクノカクの木とは今の橘のことである。この不老不死の霊薬とされた「橘」は、現在の橘と異なり、かんきつ類の古代名ではないかと考えられている。


P3200013_640x471・・・以上のような最後は悲劇にて幕を閉じるが、この当時の「橘」(かんきつ類)等の果物は、水菓子とされ、このタヂマモリ塚に向かって神明鳥居と共に石碑「菓祖神田道間守命御塚」とあり、小さくともその存在には目を見張る。また、垂仁天皇陵のまわりには、関連する小高い丘のような遺跡も点在し、「菅原伏見東陵」の完成当時の規模は今以上に大規模なものと言えるだろう。古墳があること、そこには宮内庁の管轄で無断に入ることも、木を切ることも許されない。だから都市開発と共に森や林を伐採したとしても御陵がある限り緑は失われないのである。例えば、大阪のように緑が少ない自治体であっても、古市・百舌鳥古墳群があることで都市の冷却作用等の環境面で大いに役立っているのである。

B0063958_1832844まぁ、この垂仁天皇陵の取材を終えれば、その北東側に位置する所にある「たまうさぎ」のきなこ団子を買って帰ろう。もともと八木の「だんご庄」で長年修業を積み、暖簾分けされたご主人が開いた店舗で、尼ヶ辻をはじめ、近鉄奈良駅のエキナカなどでも売られており、味は折り紙つきである。菓子の創始神と称されるタヂマモリ塚を参った後は、そのまま徒歩5分にある「たまうさぎ」のだんごを買って食べるのも何か縁を感じるだろう。
では次回、日を改めて繰り出した残りの佐紀盾列古墳(=残りの幾つかの御陵)、この後も次々と地元探索に巡った報告をつづけるので、乞うご期待である。
●参考資料:『神話の舞台を旅する~古事記と日本書紀』(主婦の友社)より抜粋。

ただいま読書真っただ中・・・読書間奏文(後ⅲ)

406地産地生・・・この地に産まれ、この地に生きる。そこに様々な人々との出会いと別れ、また日々の暮らしに喜怒哀楽の起伏を持った大小様々な物語が存在している。今回は大阪ものの作家・小説を紹介する!
ゴールデンウィークのこの間も読書をしている。もちろん納期が迫る仕事もしているし、レンタルしたDVDも観なきゃいけないし、時にはドライブがてら探究する地域を訪れてもいる。そして、確実に予測される次の依頼事項に関する予備調査も行う。そうそう、今年からは独学で幾つかの学問、知識・ノウハウを学んでもいる。何かが自分の中で弾けたのは確かであり、確実に腹を据えて勝負に出たからかもしれない。一人で孤軍奮闘にて何か得体の知れない物体、さらには「空」と言えそうな虚しさに向かって、ドンキホーテのようにがむしゃらに突進しようと考えている。全てを捨て、そして歩き出した今、何冊かの本を読み、その本の中にある人生や生き様、さらにはなすべきことの大きさや小ささ、その意味や不明瞭ささえもが自身の肥やしになる。いまさらに肥やしを与えて成長しようというのもどうかと思うが、時間があれば、ただただ本を読んで過ごしている。

私は今は奈良市内に住んでいるが、生まれも育ちも生粋の大阪人である。特に河内と呼べる南の方で生を受け、大阪人特有の思考とユーモアさえもが骨身にしみ、また大阪の業界にて育った。今は大きく様変わりをし、大阪そのものの文芸的な良さすらも失われつつあるが、その中でも大阪や大阪弁を捉えた今昔の大阪もんの小説は、特に好んで読むことにしている。そこには尊敬する作家・脚本家の花登筐(はなと こばこ)が描く商魂物・根性物はあるにはあるが、別段、現代的に捉えながらも大阪のウィットやセンスが感じられればたいがいOKである。最近は似非大阪人も多く、特に政治的な風が関西から噴き出したことで、まったく大阪人としての主義主張もない輩が集まりだしていることも甚だ困惑するばかりである。まさに大阪夏の陣・冬の陣に集まる浪人たちをけしかけ、くいっぱぐれた侍たちの最後の遠吠えの様にならなければいいのだが・・・いやいや、このブログでは政治的な思想めいたことはやめよう。ただただ企画の道を邁進するための題材選びをしているのだから。まぁ、とにかく大阪人、関西人としての同じ素性、同じ感性、同じ土地の匂いを持った者たちが描くものが、どこか選択肢にはあるようだ。

006_624x456そのことから作家・西 加奈子の著書を手に取ったのは自然の成り行きである。1977年、イラン・テヘラン市生まれ。大阪育ち。2004年に『あおい』でデビュー。ほかに『さくら』『きいろいゾウ』などがあり『通天閣』で織田作之助賞を受賞している。彼女の作品は、その意味で大阪的なだらしなさ(へたれ感)と共に、ゴーゴーと湧き上がるような心の中からの喜怒哀楽のお叫びが文書の随所に描かれている。大阪人はまさにムンクのように、あの大口を開けて、人様に対して、また自分に対して、さらには天に唾を吐きつけるように頬に両手を添えて、「ア~~~~~~~~~~~~~~~アァ~~~~~(もう息が続けへん)~~」と叫んでいるのである。そんな言いようもなく人間臭い登場人物の話が多いのが西 加奈子の作品だろう。読んだ作品は『あおい』『新世界』『窓の魚』『こうふくあかの』『しずく』などで、それぞれに大それた話はないが、庶民の暮らしの中に起こる事件とそのこころのヒダが絶妙に心に響かせる何か不思議な小説である。そして、彼女の小説での言葉選び、さらには登場人物のセリフの中にいいも言えない人生の格言(金言)があるように思え、頻繁に「ええやん」「ええなぁ」と叫びたくなるような言霊が発せられている。まぁ、文字のままでは言霊にはならず、そっと満員電車の中で吊皮を持ったままに、声を出して読めばきっと電車と言う空間もその時間も、とんでもない方向に自分を連れ去るような不思議な感覚が起こる小説が多い。

中でも『しずく』は6篇の短編が納められたあまり分厚くはない文庫本(光文社文庫)であり、西 加奈子の入門書としてはお薦めである。特に、私はこの中ではやはり「しずく」という題名のショート小説が面白い。二人の男女が暮らす家に二匹の猫も暮らす。その男女は共に脚本家、デザイナーとしての仕事を持ち、まだ生計を豊かにするほどの稼ぎはないが、二匹の猫はわずかな仕事にて得た入金時には少しふんぱつした料理のおすそ分けをいただける。そのうち男の方が映画化になる脚本を手がけ、また女も仕事が認められて二人が売れ出す。そうなると二匹の猫も高級猫缶に大出世。しかし、男女の仕事が多忙になるに従い、行き違いが増えて、あげくに離婚となって、二匹の猫は男女それぞれの新たな家に引き取られて行く。この中で二匹の猫から見る男女の生活ぶり、そして擬人法で語る猫の会話、そこに猫特有の所作や動き、癖も垣間見え、面白い仕上がりになっている作品である。アッと言う間に読める1冊ではあるが、確実に底なしの西 加南子ワールドに引き込まれるのでご注意めされよ。

P4290003_467x640次におすすめなのが第133回の直木賞受賞作『花まんま』である。作家は、1963年大阪府生まれの朱川 湊人(しゅかわ みなと)である。慶応義塾大学文学部卒業後、出版社勤務を経て、2002年『フクロウ男』で第41回オール読物推理小説新人賞を受賞。翌03年、『白い部屋で月の歌を』で第10回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。初の著書となった『都市伝説セピア』が第130回直木賞候補となり、05年『花まんま』で第133回直木賞を受賞した。他にも多数の著書が書かれているが、この『花まんま』はノスタルジックな大阪、自分も同時代に生きて感受した大阪をえがいており、その懐かしさと高度経済成長期の中であえぐ庶民的な世界が広がる名作を集めた短編集である。ここでも表4(裏表紙)に抜粋された解説文を紹介する・・・

●母と二人で大切にしてきた幼い妹が、あり日突然、大人びた言動を取り始める。それには、信じられないような理由があった・・・・・・(表題作)。昭和30~40年代の大阪の下町を舞台に、当時子どもだった主人公が体験した不思議な出来事を、ノスタルジックな空気感で情感豊かに描いた全6篇。直木賞受賞の傑作短編集。(解説:重松 清)

また、本に巻かれた帯には次のようなコピーが・・・
●懐かしい「懐」とは、「ふところ」である。頭の知識や記録ではなく、そのひとのふところに深く根差した―――まさに〈このへんがシクシクする〉懐かしさを、朱川さんの小説はそっと取り出してくれるのだ。(重松 清 解説より)


・・・と書かれている。まさに読書と言う知識や記録を駆使し、イマジネーションを働かして読む仕法とはまったく異なる「ふところ」からそっと取り出すように読む作品という作家・重松 重の解説もどストライクである。朱川 湊人は、まさに大阪人がノスタルジックを感じる30~40年を書き写す写実的な表現方法に長けた作家であり、同世代として共鳴も共感もするとともに「あったあった、こんなんあったなぁ。ほんまにごっついこと覚えてんねんなぁ。よういわんわ、そらそうやで・・・」と返してしまう。私は河内弁を忘れたわけじゃないが、日ごろは標準語に近いクリアな日本語を使うが、時として激高した時や興奮した時には、それは何かが乗り移ったようなどぎつい河内弁を吐く。まさに身体に蓄積され、DNAにも打ち込まれた古代・河内人としての血が騒ぐのだろう。まぁ、そんな言葉づかいになったことは、この数十年はあまり記憶にもなく、穏やかにくらしているので「ふところ」に収まっている感じである。ただ、この『花まんま』を読み、どこかにその狂気じみた血が騒ぎ出していることも確かである。

『花まんま』の6編の短編の一つ一つは、いたって珠玉の大阪作品となっている。特に「トカビの夜」は、このブログでも「なぜか時たま耳につく懐かしいCMソング」にも書いた“パルナス”の歌が登場する。その歌が子供同士の結束力と絆を深める役割を担い、ただただ最後には悲しい結末が待っているといったある種残酷なジエンドの作品である。また、上記の解説にもあった表題作「花まんま」は、自分の幼い妹が突如奇妙な話をしはじめ、また大人びた言動をおこなうようになったのは輪廻転生が原因だったという話であり、子供ながらに記憶する地名や家族の名前、町の風景をたどって、その前世の親もと、家族に遭遇する話は興味深い。全編に大阪弁が登場するセリフは、文字に書くとこうなるのかと納得しつつも、声に出してアクセントを確かめる自分がいることも何故か可笑しい。そして、この『花まんま』の中で気に入った作品と言えば「送りん婆」だろうか。アカデミー賞・外国映画賞を受賞した『おくりびと』というのがあるが、こちらの「送りん婆」は、死ぬ直前に最後の印籠を渡す秘密の呪文を操る特殊な仕事を脈々と受け継いで来た摩訶不思議な話である。

実際に私がここまでの人生に名乗った3つの名前は、ある預言者が付けてくれた名前だ。親父と同じ会社に勤めていたその人は、突然に自分の死期が迫っているので会社を辞めて、残された余生を好きに生きたいと退職したという。そして、自分は〇〇年〇月〇日、〇〇時〇〇分に永眠すると言っていたそうで、その日時・刻限まで言い当てて死んでいったそうだ。だから、自分が使う3つの名前にはそれ相応の意味や人生プランそのものが見えての名前であったと思える。自分はその人物に一切会ったことはないが、その名づけ親の名前に込めた解説文を読む度に、今の自分の進むべき道も、また何を目指すべきかも分かるような気がするのである。つまり「送りん婆」は、そんな庶民の中にある摩訶不思議な習慣、慣習、文化そのもので、確かにこんなことは今は知られてはいないがあった筈だと思える一作である。私が企画やイベントを通じて追い求めて来たものは、こんなところにその起点のタネがあると再確認した作品が収められているのが『花まんま』のような気がする。つづきは・・・またまた次回へ。

2012年5月 3日 (木)

ただいま読書真っただ中・・・読書間奏文(後ⅱ)

P4100020_640x479本を読む行為、ただただ読めばいいが、その読み方、理解力から一気に行動力へと飛躍することができれば、それは“わらしべ長者”ではないが、新たな自分を生まれ変わらせることにもなりかねないのである!
全てがハッピーエンドとはいかない小説が面白い。また、日本人独特の感覚、読者(または視聴者)に考えさせる話の結末が好きでもある。例えば、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』に登場する“顔なし”という存在、またすべてのものに神が宿る“八百万の神々”の存在においても一神教の欧米の人に、どこまで理解できているのかが心配される。また侍の生きざまを描く三池崇史監督作品『十三人の刺客』『一命』においても“切腹”が登場するが、単に「腹切り=残忍」「自殺行為」として理解されているようで、その自らが腹に刃を刺して絶滅する潔さや行為そのものの正当性であったり、武士道そのものの考え方であるなど、簡単には理解できないだろう。日本の美意識や生き様そのものは、よく桜の花になぞられる。あの春先にパッと咲いて、ものの1、2週間で花を散らせ、そして、その後に新緑の葉を茂らせる短命ながらも美しいひと時を魅せる、その姿こそが日本人の精神的支柱として存在していると言える。まさしく摩訶不思議な世界観が知らず知らずに古代から、この土地と血を引き継いだものたちの心身に自然と受け継がれているのである。それこそが日本文学であり、それこそが乙一や恩田陸の描く世界観にも多く登場していると言えるだろう。

P4290018_479x640その摩訶不思議なる感覚を捉えた一冊が作家・沼田まほかる『アミダサマ』である。産廃処理場に放置された冷蔵庫から発見された、物言わぬ美少女(ミハル)と、それを発見するに引き寄せられた二人の人物と、その後のミハルのまわりで生と死について引き起こる事件の数々は第一級のホラーサスペンスと言える。この奇怪で難解なる話を読み解くには、やはり宗教観や日本人特有の生死の感覚が望まれるだろう。確かに誰もが分け隔てなく読まれなければ、人々に読まれるために生まれてきた作品とは言えないが、その独特の色づかい、筆さばき、表現方法は生まれないだろう。文字に色が浮きあがり、また蠢いているのは気の所為と言ってしまえばそれまでだが、書く者と読む者、その縁(関係性)は何通りもあり、書き手が一人の作家ではあるが、読み手はそれぞれに感受性も今まで生きてきた経験値も違う人々であり、一つの小説が“八百万(やよろづ)”もの神々が宿るように、文字もセンテンスも、そしてストーリーや登場人物、背景や物々すらも自由闊達に生きているのである。

小説はミリオンセラーなど、その人気度は発売部数の数字にも表れるが、その小説の面白さをビジュアル(映像)にて表現し、エンターテインメントとしてドラマ化や映画化をするものも少なくない。その多くが満足の得られることは少ないのも、自身が読んだ小説のドラマ化、映画化での世界観が違っている場合が多いからで、そこに違和感を得るからかもしれない。ただ、私のように読んだ本(小説)のドラマや映画を観ることで、違った視点や思わぬ発見をする場合があり、映画監督なり、脚本家が捉えたその小説(原作)のコンセプト、テーマ、そして映画づくりに働きかけた目的(大義名分)そのものが分かって面白いわけだ。プランナー稼業からすれば、このコンセプト、テーマ、目的などの大義名分づくりはとても重要で、日々の中において時代背景(ビジョン)や生活者ニーズ、時代の中にある課題そのものも大きな発想の基軸にあり、一見異質と思える小説やドラマ・映画づくりからそのプロセスと創造性を読み解くところに面白さがあるわけだ。娯楽、趣味としての読書や映画鑑賞は、これまた“企画の王道”を進む上で欠かせない頭脳・創造のエネルギー源と言えるからである。

P4290005_640x480では、その映画化において、すでに昨秋に封切り予定だった1本の映画があり、現在仕切り直しを余儀なくされ今秋に封切ることになった作品があることをご存じだろうか。それが和田竜『のうぼうの城 上・下』(小学館文庫)である。戦国もので、実際にあった史実に基づいて書かれた痛快時代劇と呼べる傑作である。この物語は確かに小説にはとどまらず、映画化は自然の流れであり、頭の中に描くには過去(戦国期)の話でもあり、ここは忠実に衣装、美術、背景(ロケ地)、そして一部特撮(SFX)を駆使し、描いて欲しいと思うほど痛快なエンターテインメント作品と言える。物語は、これまた上・下の本の表4(裏表紙)にある説明コピーから引用する・・・

●戦国期、天下統一を目前に控えた豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じた。そのなかに至城、武州・忍城があった。周囲を湖で取り囲まれた「浮島」の異名を持つ難攻不落の城である。秀吉方二万の大軍を指揮した石田三成の軍勢に対して、その数、僅か五百。城代・成田長親は、領民たちに木偶の坊から取った「のぼう様」などと呼ばれても泰然としている御仁。武・智・仁で統率する、従来の武将とはおよそ異なるが、なぜか領民の人心を掌握していた。(ここまで上巻の解説文より)

●「戦いまする」
三成軍使者・長束正家の度重なる愚弄に対し、予定していた和睦の姿勢に翻した「のぼう様」こと成田長親は、正木丹波、柴崎和泉、酒巻靭負ら癖のある家臣らの強い支持を得て、忍城軍総大将としてついに立ち上がる。「これよ、これ。儂(わし)が求めていたものは」
一方、秀吉に全権を託された忍城攻城総大将・石田三成の表情は明るかった。我が意を得たり、とばかりに忍城各門に向け、数の上で圧倒的に有利な兵を配備した。
後に「三成の忍城水攻め」として戦国史に記される壮絶な戦いが、ついに幕を開ける。(下巻の解説文より)


・・・以上のような解説ながら、まず、まだお読みになっていない方は自身で如何ように面白いかを体験いただきたい。この映画の封切りは今秋に迫っており、その前に自身の脳内にてこの合戦を仕掛けてみるのも悪くはない。上記の下巻の解説文の最後にあった“水攻め”こそが、昨年3月11日の東日本大震災の津波を思い起こすことから、封切りが1年延びたとされている。確かに、あのYouTubeでも観た「東北の漁港に押し寄せる大津波」や「波に飲み込まれる家や車、船など」の悲惨さは、まだまだ脳裏に焼け付いてはいるが、実際に本を読んだ上での水攻めのイマジネーションは違っているもので、それが映画封切りの延期になったということは残念ながら、ただただタイミングが悪かったとしか言えないのである。この1年延期にて、『のぼうの城 上・下』を何度も読み返す機会ができたことも、よくよく考えれば良しとすべきかもしれない。

P4290014_640x416また、今回のブログにて脳のスポンジに水がす~っと吸い込むような気安さ、気軽さでアッと言う間に読めるのが作家・峰月 皓の作品群である。私が読んだ作品は全てメディアワークス文庫のもので、『君に続く線路』『カエルの子は』そして『俺のコンビニ』その続編の『俺たちのコンビニ~新米店長と仲間たち』など青春小説と言った爽やかな作品が多い。この中で最初に峰月作品を手にしたのは『カエルの子は』で、遊園地でカエルの着ぐるみをかぶって仕事をする独身貴族を愉しむ人物に、突如「父ちゃん」と言って現れた子供(息子)との奇妙な絆が織りなす遊園地での出来事を描いている。自身も過去に遊園地の販売促進、シーズンイベント企画を手がけたこともあり、また着ぐるみの企画制作、さらにはその運営管理、場合によってはそれを着て、演じたこともあるもので、その物語に見る遊園地などのシチュエーションは、自身の経験と体験から、かなリアルなイマジネーションが働いたと言える。主人公を自分に置き換え、また登場人物を身の回りにいる知っているイベンターや知人・友人等をイメージし、その話の顛末と共に楽しめた一冊である。

特に日頃お世話になるコンビニについて、そのバックヤードを見るような細部に渡った描写が持ち味の小説『俺のコンビニ』『俺たちのコンビニ』は結構はまった・か・な。青春小説と銘打つだけに、登場する主人公や仲間たちは若く、一軒の地域に根差したコンビニづくりを題材にしているのが興味深かったのである。これも本文をネタばらし出来ないので、やはり表4(裏表紙)の解説を記載する・・・

●東京暮らしに挫折して、故郷へと舞い戻った青年、牧水良平。実家の小さな商店を手伝うわけでもなく、悶々とした日々を送っていた。そんな彼が一念発起!人口の少ない田舎町で、コンビニを起ち上げようと決意する。当然のごとく次から次へと難題が降りかかってきて、若き店長は行き詰るのだが・・・(『俺のコンビニ』の解説文より)

●故郷の小さな田舎町でコンビニを起ち上げた若き店長、牧水良平。開店までの苦労を乗り越えた彼を待っていたのは、厳しい現実だった。画一化を図るコンビニチェーン本部に抵抗し、オリジナリティあふれる店を作ろうと奮闘するが、経営は赤字続き。しかも、バイト店員が起こしたある事件が原因で、ただでさえ少ない客足も激減してしまう。閉店の危機に、牧水店長が打ち出した策は・・・(『俺たちのコンビニ』の解説文より)


P4100008_640x471・・・以上のように、ある青年が実家に戻り、そこでコンビニを開店させ、また町に溶け込んだオリジナリティあふれるコンビニを創ろうと奮闘する物語である。よくよく考えれば、この『俺のコンビニ』『俺たちのコンビニ』と、先に紹介した『のぼうの城』は、時代も、シチュエーションもまったく違うが、どちらも戦国の城づくり(店舗づくり)、陣地取り(チェーン展開)などに共通する一国一城の主の物語だと気づかされる。この『俺(俺たち)のコンビニ』を読んで、多少なりコンビニのシステム、スタッフの仕事量とその内容が良くわかり、通りすがりに、単におにぎりや菓子、ジュース類を買っていたが、やけにコンビニが愛おしくなったと言える。本は時として、その人の人生観そのものも変えるほどの衝撃すらも与える。その意味で、あなどることなかれ作家・峰月 皓である。まだまだ、もっと面白いと思う作家や本があるので、また次回につづこう!

2012年5月 2日 (水)

ただいま読書真っただ中・・・読書間奏文(後ⅰ)

Id00000018img3読書は一度読み始めれば、その続きが気になって一気に読み切ることが分かった。人間性が変われば読書のスタイルも、選ぶ作品・作家も変わってくるから不思議である!
お薦めの本はいくつもあるが、あまり薦めても実際に感受性や嗜好によって「面白い」「まぁまぁ」「ぜんぜん面白くない」等の答えが返ってくる場合もあるので、ほんとうのところあまり本(作家や作品)を薦めないことにしている。そのことも含み、ここでは私の勝手な読書感想として読んでもらえれば結構である。もともと本を読む速度が人よりも遅く、味わいながら、理解した上でページを繰るため、一冊の文庫本を読むのに結構な時間を要する。ただ企画事業に関連する専門書やレポート、雑誌などの類は速読術にて斜め読みをしており、まったく趣味の読書とは異なる速さである。最近は何事も速くなったと思う。朝起きるのが早い、企画立案に要する時間が速い、また行動が速い(思いついたら即行動に移っている)・・・など等、自分でも驚くほどに最近の時間経過が速いのである。確かに月日の巡りも早く、アッと言う間に1週間が過ぎて、昨日見たはずの番組(週一ドラマ)がもう見られるのかと驚いたり、曜日感覚がないほどに日がめくるめく過ぎ去っている。気が付けば今年も5月になっている。子供の頃には、学校の午後の教室で、ぼんやり窓の外の長雨の風景、ねずみ色がかったぼんやりした空を見ながら、はやく一週間が終わらないかとため息をついてもいたが、どうも年齢が嵩めば嵩むほどに時間の経過が速くなるようだ。この速度で行けば、すぐさま大晦日を迎えるだろうし、また2030年頃にワープするようにも思える。

とにもかくにも最近は本を読む速度が早まっており、イマジネーションも速読の速さで頭に浮かび、そのままの速度で並行しながら文字と想像が両輪の如く回っている。どうも皆はそれをあたりまえにしていたのだろう。自分のブログもそうだが、企画書も長文になりやすく、そのあたりを是正したいとも思っている。一文でイマジネーションがパッと広がることが読書だけではなく、企画アイディアを創造する際でも同じことが言えるようだ。どこかで寸止めれば済むものを元来のサービス精神旺盛なことが災いし、気が付けば長文、くどくなっている場合がある。その意味で、実際に幾つかの作家の小説を読んで気づかされることが多い。起承転結による(起)の前ふりが長く、また説明がくどい文章は確かに読む意欲を削ぐ、特に笑い(興味をそそる面白味)がないものは、往往にしてこの段階で「おもしろくないだろう」という脳内信号が発せられる。確かに、そのあともまどろこしい説明と不必要な修飾語、副詞等の飾り言葉にて長文となり、読むだけで疲れてしまうのである。その意味で贅肉をそぎ落とし、必要な伝達(読者への情報)だけを書き綴った文章が書けるのが『夏と花火と私の死体』を16歳の若さで執筆し、「ジャンプ小説・ノンフィクション大賞」の第6回大賞受賞を獲得した作家・乙一で、すんなりとどの作品でも読めてしまう。

P4290021_640x445昔、ある仕事で一緒した女優が書いたブログの中で、「遅まきながら乙一にはまる」とあり、この路線は映画では好きなジャンルでもあったが、なぜかミステリー小説は読んでも来なかったので冒険的に読みだした。前回にも書いたが、まず分厚い本は選ばず、ショートの短編が書かれたものを選ぼうと手に取ったのが『ZOO 1』『ZOO 2』である。特に、イマジネーションを要すれば数段に面白さが倍増する『ZOO 1』内の「SEVEN ROOMS」、『ZOO 2』内の「冷たい森の白い家」「落ちる飛行機の中」等ははまるだろう。確かに学生に乙一ファンが多いと聞くが、このミステリーは人生経験を豊富にした者が読めばさらなるイマジネーションの広がりが持たれ、面白さも倍増するだろう。あまり不必要なセンテンスや言葉を根こそぎ取り去った適量の文章表現だからこそ、くどくどとした説明がない分、自分の中での空想、妄想、喜怒哀楽の感情が自由に描け、こころに響くことができる。

また乙一の作品の多くは、集英社文庫、幻冬舎文庫、角川スニーカー文庫などの文庫本が多く発刊しており、その作品が手軽に読むことができるのもいい。ここは大人買いをして、一気にこの連休で読んでみるのもいいだろう。『失はれる物語』『さみしさの周波数』『失踪HOLIDAY』『GOTH 夜の章』『GOTH 僕の章』『死にぞこないの青』『天帝妖狐』『暗黒童話』『暗いところで待ち合わせ』等があるが、自分なりに気に入っている作品は『平面いぬ。』である。物語は簡単に書くと・・・「わたしは腕に犬を飼っている―」ちょっとした気まぐれから、謎の中国人彫師に彫ってもらった犬の刺青。「ポッキー」と名づけたその刺青がある日突然、動きだし。とあり、肌に棲む刺青の犬と少女の不思議な共同生活を描く表題作で、最後のなるほどと言える終わり方も気に入っている。また、この『平面いぬ。』にある短編の「BLUE」なる作品も摩訶不思議な童話のようで面白い。まさに乙一を評してファンタジー・ホラー作家と言うが、この『平面いぬ。』の中に納められた四編は傑作短編と言えるだろう。

P4290004_473x640一通りすべての乙一作品を読破したと思っていたが、乙一が覆面作家となって別なるペンネームで作品を発表していることを最近になって知った。それが2005年に怪談専門誌『幽』でデビューした山白朝子である。本屋の本棚に並べられた新刊文庫本『死者のための音楽』(メディアファクトリー MF文庫 ダヴィンチ)に添える形で、本屋側の推薦文があり、「この作品を書く作家・山白朝子は、何を隠そうあの『ZOO』『GOTH』等のミステリー作家・乙一が覆面作家として世に出した作品である!」と簡単なPOPが貼りだされていた。「おいおい、それなら覆面作家じゃなくって、乙一作品だとちょんバレやんか~」と、本屋で一人、ツッコミを入れていた。この『死者のための音楽』以外にも、『エムブリヲ奇譚』も発売中である。そうそう、確かもう一人、乙一が覆面作家となっているのが中田永一であると言われている。どちらにしろ、乙一、山白朝子、中田永一とあるが、様々な顔を持つ乙一の新たな新境地にて新作に出会うのは大変うれしいことだ。作家自身が名前を変えて書くところにどのようなコンセプトやテーマを設け、何を表現したいのかを知ることも大変興味深い。

読書も乙一から入れば自然と恩田陸に行くだろう。「なんでやねん!」とツッコミを入れられそうだが、本屋に行けばその理由が分かる。少々ミステリーっぽく答えたが、推理は簡単である。本屋の文庫本コーナーの棚はアイウエオ順に並べられ、乙一の「オ」と恩田陸の「オ」は、同じ「オ」で横並びに本が整列しているのである。背文字にて本のタイトルと作家名が書かれているが、集英社文庫を見た場合、乙一作品は地味にグレーの本が並んでいるのに対して作家・恩田陸の本はたんぽぽのような明るい黄色が目立つ。乙一を読んだら、そのままに本棚を横にスライドして恩田作品に入るのは自然な流れだったと言える。また恩田作品も乙一と同じくミステリーやファンタジーの作品が多く、その文章力についても余分なセンテンスは一切排除され、流れるようなリズミカルな読書ができるのが特徴である。そして、その作品の発行数にも目を見張る。乙一作品が1ならば、その横の恩田作品は3、4倍の冊数があると言えるだろう。また1冊の文庫本もそれなりの厚みもあるが、その元来敬遠してきた厚みすらも気にせずに読破できるのが恩田のペン力である。

P4290010_640x404乙一が1978年福岡生まれなら、恩田陸は1964年宮城県生まれである。共に若い頃からの作家稼業であり、それぞれにモノの観かた、観察力と洞察力には各々の個性と才能を感じる。特に恩田は、昨年3月11日に起こった東日本大震災の被災地に生まれ、また東北を捉えた作品も多く、その中で常野物語(とこのものがたり)シリーズはファンタジーながら、それも日本的な風土をうまく取り入れた作品に仕上がっている。まず読んだ常野物語は『光の帝国』で、秘密結社的な一族がおり、社会の中に日頃は埋没し、姿や各々の能力(超能力)を隠しもって暮らすが、何か事件が起こった際にはどことなくそれらしき人物が集まってくるというもの。「遠目」(遠くのものが見える)、「つむじ足」(早足で歩ける)等々の特殊な能力を持つ常野一族は、その血を絶やすことなく、また社会にその存在を知られぬように生きており、そこに事件が絡むと言う物語である。

常野物語は『光の帝国』の他に『蒲公英草紙』『エンド・ゲーム』等があり、このシリーズは、かなり読みごたえがあるだろう。それ以外に、今回の東日本大震災を暗示していると思える作品『劫尽童女(こうじんどうじょ)』は、超能力を持つ少女の話で、その少女を奪取しようとする組織と守ろうとする組織の手に汗握る攻防が見せどころである。殺戮、数奇な運命、成長する少女・・・そこに米軍などが加わり、いらぬ方向に進むと言うのである。このブログのタイトルは読書感想文ではなく、間奏文としたのはあまり本の種明かし(内容をねほりはほり書く)のはやめて、ただ私が読んで面白そうな本を羅列するのみにするためである。その意味で、恩田陸の常野物語シリーズや『劫尽童女』は超能力を持った人々の物語が好きな人には、確かにお勧めである。この他に『ねじの回転』『Puzzleパズル』『ネバーランド』も読んでいるが、どれもこれも登場人物の描写がとても瑞々しく、その心のヒダまでも言動を通じてうまく読ませてくれる。何も超能力を操る不可思議な登場人物を書くばかりではなく、フューマンな物語であったとしても恩田陸と言う作家の筆力には驚かされる。

780特に奈良に住む身なれば、やはり恩田陸と言えば、『まひるの月を追いかけて』を読んでしまう。物語の全編が奈良の主な観光地を巡るもので、実際に現地を訪れていなければ書けないような風景の描写も多く、確かに恩田陸は奈良に足を運んで取材旅行したと言える。物語は・・・異母兄が奈良で消息を絶った。たった二度しか会ったことがない兄の彼女に誘われて、私(主人公の女性)は研吾(腹違いの兄)を捜す旅に出る。早春の橿原神宮、藤原京跡、今井、明日香・・・。旅が進むにつれ、次々と明らかになる事実。それは真実なのか嘘なのか。旅と物語の行き着く先は―。まさに恩田ワールド全開のミステリーロードノベルとなっている。(解説:佐野史郎)

奈良の主だった観光地を数日で巡るガイドブックとして捉えても面白いが、物語そのものがドロドロした人間模様が描かれており、最後の大ドンデンにも驚くが、地元の奈良をうまく捉えた小説としてお薦めの一冊と言える。もし、奈良にご旅行される機会があれば、どうかこの『まひるの月を追いかけて』をバッグの中に入れて、その都度のページを読みながら、同じコースで旅をするのもいいだろう。多少物語上、それほどハッピーにはなれないが、それも人生かもしれないと言い聞かせればどおってこともない。まさに乙一から始まり、そのまま「オ」行の作家と、横並びに本を手に取った恩田陸を読んですっかり読書熱が高まったと言える。この頃より同時に数冊の異なる作家、異なる本を買い込み、暇さえあれば読書にふけっている。今回は乙一、恩田陸で書き綴ったが、まだまだ好きな作家、おもろい本があるので次回へとつづく、とさせていただく。

2012年5月 1日 (火)

ただいま読書真っただ中・・・読書間奏文(中)

B11a004自身の体や頭から出す一方のアイディアや企画力すらも、貯蔵されたイマジネーションや思考を時には読書で補充すべき時がある。読書はそんな叡智と創造の産物である!
自分の楽しみ(趣味)と共に、読書は仕事における発想や作文能力のトレーニングとしても活用している。特にイマジネーションについては映画やレンタルビデオ(DVD)作品を観る以上に、自分の今までの経験と想像力の中で、文字を一旦頭で読み取り、解析した上で想像を働かせて、その意味や表現する時空間を頭に描かなければならず、それは観れば良いと言う映像とはかなり異なる。挿絵や写真などが添えられた本は稀であり、大概が移動中に読んだり、寝間の中で読む場合が多く、Myブックカバーを付けた本を読むことになる。この読書、小学校時代からあまり得意ではなかったのが本音である。夏休みや冬休みの宿題に、「何冊かの本を読んでの感想文を書く」と言うのがあったが、実際に目標とされる複数の本は、いつもそれを上回ったこともなければ、実際に意味を分かって楽しんで読んでいたのかも分からないほどである。誰よりも読書をするうえで、時間がかかると言うのが難点だったからだ。

先にも述べたように読書は、大方が文字の羅列でページ数を重ねている。帯に書かれた宣伝文句に似た推薦や解説は読むが、実際にいざ本を読むとなった時、その序文やはじめにがあった段階で、読もうか読むまいかと悩んでしまう。読めば読んだで、少々重い文章ならば、それ以上に本文は息苦しく感じられるため、閉じたままに何日も過ごしてしまう。確かに書店や図書館に行き、読む本を選んだはずであり、その段階で「これを読みたい」と気に入って購入、あるいは貸し出しを願い出たはずながら、自宅に持って帰った段階から重苦しく感じることもあったように思える。まずはページ数が膨大にある本、また、文字(活字)が気に食わない書体と小さな級数で書かれたもの。そしてどんだけ書くねんといいたくなるような、1ページを上の段と下の段に分けてあるものなど、これを読んで楽しもうと言う気よりも、これを読むことの疲労感や時間的拘束感の方が先に立ち、その段階でかなりくたびれてしまう。だからペラペラの本、下手をすると幼子が読むような絵本ですら読書感想文を書くための一冊と勘定にいれたこともある。そうそう、あれほどに話題になった『ハリーポッター』シリーズでさえ、一冊も本をまともには読まず、映画を観て補完しながら気が付けば本棚にその本が並べられただけいう呆れた読書家でもある。

B11a002特に読書をする際の本読みに時間がかかり過ぎるのである。一つの言葉、「なんでこの言葉を選んだのだろう。違う言葉の〇〇〇や〇〇〇〇でも意味は通るし、その方がリアルじゃないのか」とか、一文のセンテンスにある風景や描写を文字から空想する際もSFチックな表現やミステリアスな表現で描かれていれば、そのイマジネーションに時間を費やし、完璧なる想像と妄想と、夢物語を描こうと必死に脳を働かせてしまう。仕舞には、その一文から描いた世界の中に、その本とは無縁のストーリーを創り出し、また登場人物や脇を固める人々の中に自分も、また身近な人々も住まわせてしまうほどに、一文を読んだだけでとんでもない道草(空想)をしてしまうのである。あのテレビ番組の「はじめてのお使い」ではないが、子供の好奇心は自身の目的や使命を忘れ、気が付けば公園で遊んでいたり、肝心の買い物すらおっぽり出すことにもなる。いやまだ子供のお使いならばいいが、動物番組のチンパンジーの「お使い」で、猿と犬がミッションを受けてお使いに出るように、1冊の本を読むと言う行為に対して脱線し、また自身のイマジネーションと違った方向に行く結末でもあろうものなら、一気に読書熱も冷却する。つまりは、このブログそのものも余計な脱線をせず、「この本と、この本は面白いですよ」と感想を述べて書いてしまえばいいものを、アホみたいにまた長々と道草と言える脱線を繰り返してしまっているのである。

要するに子供の頃から自我が強く、本を読んでも自身のイマジネーションと読解力に対して一文を理解すればそれで次を読むと言う素直さが欠落していたと言える。話が長くなったが、夏休みや冬休みの読書感想文を書くという宿題は、はじめの数ページと、最後のページを読んだ挙句に、あとがきを読んで書いた記憶がある。小説や物語の中抜けでの起承転結の、起と結のみを読んだだけの感想文を書いていたように思う。ただ、高校・大学の七年間を電車通学で、三つの路線を乗り継ぎ通っていた時間を有効活用するつもりで始めた読書からは、かなり読書のコツがつかめたと言える。特に星新一等のショートショート(短編集)は、電車の車中で読み切れるのと、飽きっぽい性格には読みきりで、次に新たな物語に出会えるというのが自分に適していた。確かに北杜夫、遠藤周作、佐藤愛子、庄司薫等の小説も読み、ハイネ、ヘッセ、ゲーテ、リルケ、ポー等の詩集や、その当時の流行作家の作品も読んでいた。そこには中学校当時から続く文通相手がおり、その相手の手紙にあった「こんな本を読みました」と来れば、こちらも「こんな本、このような本を読みました」と対抗意識を燃やして感想文も添えて送った記憶があり、中学・高校・大学、社会人になった当時まで文通は続き、そのままに読書家にいつの間にか変貌を遂げていた。

B16a003つまり小中学校の読書嫌いのままで過ごしていたなら、コピーライターやシナリオライターにもなることもなく、またプランナーとしての書く仕事(字遊人)には絶対に成りえなかったと思う。私の人生の中で、この仕事につくための影響力を持った一人がまさに幼なじみの文通相手だったと言える。特に小・中学校当時は、文通が流行っており、漫画雑誌の裏にある読者コーナーで「文通相手募集」というのがあり、まったく知らない他人に向けて、行ったこともない町宛の手紙を書く文通である。また、海外に住む外国人の同世代との文通も流行っていた。もちろん日本語で送ることも出来ず、辞書を片手に簡単な挨拶文を入れた手紙を出すのだと言う。私はそんな文通相手はおらず、近くの友人が外国人と文通をし、確か大阪万博で日本にやって来るから会おうということになり、会ったがために文通がぷっつり切れた話も知っている。まったく見ず知らずの相手との文通は、共通する話題や過去もないために続かないケースが多く、私が続いた文通相手は小学校の同級生で、一度家の事情でアメリカに転校し、中学生になって大阪に戻ってきたというもの。最初は離れた街の中学校で会うこともなかったが、友人を文通相手に紹介するということから、ミイラがミイラ取りになるように旧知の仲での文通が始まったのである。その彼女との文通が、文章力を付けさせると共に、読書嫌いを克服するきっかけになろうとは思いもよらなかったのである。

B11a040
私はいつも自分自身に何かのミッションを与える。帽子(ニット帽)を12年間、人前で一度も脱がずに過ごしとおせるか。スーツを着ることなく12年間通し続けるか。「出来ません」と言うギブアップの言葉を発っせずに業界を生き抜けるか。そして、以前このブログでも紹介している潰れそうな場末の大衆食堂や喫茶店に足蹴に通い、そこの常連になったり、自身の客寄せの運気(知らず知らずに店に客を吸い寄せることができる天性の能力=まさに福助や仙台四郎のような)をそこに植え付けられるか・・・など等、ここでは紹介できない多くのミッションが実証実験のように自身に与え続けている。昨年から読書に力を入れていることもその一つで、年間に目標の冊数を読むことになっている。ただその数字は、仕事上や勉強で読んだりする書籍等は一切含まれず、自分の趣味としての本の数をいうものである。この正月に12年ぶりに自身をリセットした際に、幾つかのミッションを自身にかっしたが、これも自分の中での目標でしかないし、あまり人様に言えるような大それたものは少ない。自身の肉体、魂・・・その魂自身が思考と行動を伴いながら、たえず伊勢神宮のように式年遷宮を迎え、クリエイターであればたえず新たなミッション(目的)を持って生まれ変わるべきものと考えている。読書は、その意識改革(時空創造革命)の一つとして、些細なことだからより大層に考えている。読書は、つまりは自身の式年遷宮(遷体)の御魂磨きであり、新たに生まれ変わる際の禊祓いのように考えている。ここで一度、自分自身を潰してしまえればいいわけで、読書はそんな底知れないパワーを与えてくれるのである。

勝手にしやがれアイドル考(千秋楽)

Image3440アイドルと言ってももともとはずぶの素人だった。それを見出す者や自ら望む者がいたとしても、実際には運気を持っているかがアイドルとしての本物の実力だと言える!
広辞苑で“アイドル”を調べてみれば・・・アイドル【idol】偶像。崇拝するもの。→イドラ、となる。イドラも調べれば、イドラ【idola ラテン】偶像。盲目的尊信の対象物。幻像。まさに非現実的で遠い存在になる。この説明の通り、アイドルは我々とは非常に遠い存在であり、また憧れそのものも信仰のような崇拝的なものだと言える。しかし、「AKB48」が出てきた最近のアイドルは、ファンにとって身近に感じられ、まるで友人が芸能活動をしていると言った気軽さ、気安さがあり、“追っかけ”だの、“ストーカー”だのがそのファンの中にはいるようだ。とても怖いことだとは思うが、そんなヘビーなファンがいるからCDやDVDも買い、ライブやコンサートのチケットも売れる。商売としてのショービジネスは、昔は贔屓筋のパトロン的なファンがついて成立もしていたが、今は下手をすると自分たちの意に反するが、ただファンと言うだけで無防備なままに、危険そのものまでも受け入れる羽目になる。

この「勝手にしやがれアイドル考」の1回目に書いたファンと連絡を取り合ったというアイドルグループのメンバー、またファンと個別に会っていたというノリは、どこか水商売の世界にも似ていると言わざるを得ない。確かに芸能界やマスコミ等は水商売である。【広辞苑での「水商売」・・・客の人気によって成り立ってゆく、収入の不確かな商売の俗称の意】、もちろんフリーのプランナー稼業も水商売と言えるだけに、その不確かな商売の中で如何にお客(クライアント、スポンサー)を納得させ、また満足させながら収益を得るかは、どこかアイドルなどのショービジネスと変わりはないし、下手をすると太鼓持ちのようにYESマンにならざるを得ないと言える。まぁ、わがままなプランナーにて、我が道を行く私などは、まともな水商売にはなってなくて、冷水を飲んでばかりいる暮らしぶりなのかもしれない。まぁ、水商売にも似たアイドル業はまさに旬産旬消、旬という限られた時期に花を咲かせ、そして旬のうちに売られると言った業界そのものが主導しながら進むビジネスに他ならないだろう。確かにある程度のアイドル時期を過ぎ、一時のようなハードスケジュールやヘビーなファン層は消えうせたとは言うものの、今も芸能活動を続けるアイドル出身者も多い。

一度、結婚を契機に芸能界を去った筈の元アイドルが、離婚を境に復帰したり、また子育てを終えてパート感覚でバラエティーから仕事を始めるケースも多く、人生の大きなターニングポイントに立ち、またまた芸能界に照準を合わせる者が多いことも確かである。ただ、第二幕としてのカムバックした元アイドルは、全盛期のような勢いもなく、また若さや可憐さ、純粋さ、キラキラした光のような輝きもないものの、まったく違ったタレントとして見れば、そんなには違和感もないし、万一アイドル時代を知っているファンならば、自分すらも年を重ね、結婚や子育てをしながら気がつけばいいおばさんやおじさんになっていることを考えると、元アイドルという熟年のタレント(女優、男優、歌手、コメンテーター等)には微笑ましく思うものの、そんなに熱心に恋焦がれることも、さらには毛嫌いすることもないだろう。カムバックを果たした熟年の元アイドルも昔と違ってがっちりガードをしなくても、知り尽くした芸能界の裏事情を知っているだけに、馬の合ったプロダクション、マネージャー、テレビ屋、レコード会社等に我儘を言いつつ、日々を過ごせるのである。

Ent11012906540004p1確かにアイドルの全盛期から一度も引退や休止をせずに芸能界に留まり続けている者もいるだろう。一度、長期に消えれば「あの人はいま~探そう元アイドル」なるテレビ番組で、おもしろおかしく取り上げられることにもなりかねない。自然とヒットも出さず、また干されもせずに生き続ける元アイドルは確かにいる。そこには歌(ミュージシャン)から演技者(俳優業、舞台役者、ミュージカル演者等)に転身した者が多く、とは言うもののトップで活躍する者はほんの一握りだと言える。その意味でアイドルグループの「モーニング娘」や「AKB48」等のOGの脱退後の進路にて、そのまま芸能界に残り、活躍することは如何に成功し得ないのかは実際、今の現状を見れば理解できるだろう。まずは結婚、子育て、そして芸能界に未練がなければ自分の才能を生かしたアパレルのブランドを立ち上げ、実業家気取りをする者が後を絶たないと言える。マスコミでの多少の露出は、そのブランドづくりとプロモーションの為であり、ブログを頻繁に書いてアップするのは、タレント生命を維持し続けるための行為だと言う者も多い。(*中には「中川翔子」オフィシャルブログのようなブロガーとして、それをタレントの才能の一つとして捉えられる者もいなくはない・・・)

Yosikoa_2そんな中で歌手でもなく、アイドルグループでもなく、さらにはビジュアル系のカワイ子ちゃんアイドルとしてのデビューとは無関係なCM業界発の80年代の異質アイドルを紹介しよう。また、芸能界をそのままに歩き続けて30年、第一線で映画、ドラマやバラエティー等でも活躍し、クイズ番組でも熊本大学出身としての才女の片りんを魅せている宮崎美子である。彼女の芸能デビューと共に、時を同じくして業界に入った私にとってアイドルと呼ぶと共に、今までその世界に留まり続けている同志、同胞(はらから)のような思い入れがある。たしか大学の4回生にて就活を行っていた際に、テレビで何度も見た彼女のCMが、会社説明会をおこなう広告代理店H社で上映されたことを鮮明に覚えているのである。まさにこのプランナー人生の最初の出だし、そのスタート地点のピストルによる号砲は、やはり宮崎美子のCMだと言えるだろう。あの懐かしいCMをYou Tubeや「懐かしのCM特集」なるテレビ番組で観るたびに、あの業界に憧れ、そして就活にいそしんでいたあの頃にタイムスリップする。宮崎美子への憧れと言うよりも、このようなCMづくり(コピーライティング、企画制作など)を仕事にしたいという願望が相まって、今も現役を張る宮崎の姿を見る度に人知れず内心で喜び、応援しているのだろう。確かに同級生だった俳優の時任三郎の活躍もどこかで注視してはいるが、アイドルとしての捉え方をするなら当然、宮崎の仕事ぶりが気になると言わざるを得ない。

衝撃と共に、大学時代に同世代の女子大生がCMに登場した。それも衝撃なるカメラショットを思わせるシチュエーションでの映像は、いまもそのCMソングと共にいとも簡単に頭の中ですぐさまリピートできる。それが宮崎美子のミノルタのCM(1980年)である。どんなものかと言えば、著書「広告のヒロインたち」(島森路子著/岩波新書)の中に書かれている「あどけない成熟-宮崎美子」から次の文章を抜粋する・・・

Photo●木かげに立ち、周りにちらりと目を配ってから、彼女はすばやく着ていたTシャツを脱ぎ、続いてジーパンも脱ぎ始める。バックには、「いまのキミはピカピカに光って・・・」とうたう軽やかなメロディ。脱ぎ終わって水着姿になった彼女は、そこではじめてカメラの存在に気づき、困ったようにはにかんだような笑顔をみせる。その恥じらいのある笑顔が、初々しい。押しつけがましい笑顔や媚びた笑いのあふれるブラウン管ではめったにお目にかかることのない自然な笑顔である。さわやかな風がふっと通りすぎていった、そんな印象を与える、宮崎美子のテレビ・デビューだった。

●このCMで宮崎美子は注目されることになる。彼女の「激写」を巻頭にのせた雑誌『GORO』はたちまちのうちに完売。もともとは熊本大学の学生で、篠山紀信の撮る『週刊朝日』の「表紙写真館」を女子大生の一人として飾った彼女に、コマーシャル制作者の目がとまったのが、このCMに出る切っ掛けになったという。

●結局、彼女はタレントになる道を選び、いまに続くわけだが、当時のブラウン管の中で、めったにお目にかかれないものを二つ、彼女はこのコマーシャルで見せてくれた。一つは、言うまでもなく、その初々しく愛らしい笑顔。そしてもうひとつは、当時のマスコミの騒ぎ方はもっぱらこちらの方に集中するのだが、豊かなというかしっかりしたというか、こちらも自然のままの堂々としたからだである。あどけないとも言えるその笑顔を裏切るように、Tシャツを脱いだ彼女の胸は大きく、ついでにお尻も豊かだった。伸び伸びと育つにまかせて大きくなったように見えるそのからだを、あろうことか何千万の人がのぞき見るテレビカメラの前で、彼女は、あまりにも無造作にさらしてしまったのである。


・・・確かにこの頃のアイドルは、ひ弱な体形、言うなら痩身なる容姿が望まれていた時代であり、作られた偶像アイドルに誰もが近づこうと無理をして容姿を作っていた時代に、そのままに近所に住む“美っちゃん”がビキニ姿をさらしたことで、注目度は高まったCMと言える。「AKB48」のコンセプトにある「会いに行けるアイドル」があり、専用劇場でチーム毎に出演し、お目当てのアイドルを品定めして、これと決めれば贔屓に応援する現在のスタイルではあるが、この宮崎美子は、その当時でもはやその上を行っていたことになる。普通の女子大生が、それも均整のとれた容姿を売り物にせず、また化粧やヘアーにこだわりをもっていない純朴なままの姿で、皆がブラウン管を通じて水着に着替えるところをのぞき見してしまったと言うのが一番だろう。自然のままに宮崎は年齢を重ねて、来る仕事来る仕事をこなしながら、今は母親役やおばさん役をうまく演じる女優になったが、その生き方、その年齢の重ね方は自然で、整形を施して大きくイメチェンを図る者もいるだろうが、あの南の島の木の下での彼女はいまも私の人生の月日と同じだけの月日を歩き、年相応に年齢を重ね、また経験や苦汁を味わってもいるだろうが、それを一切おくびにも出さずに宮崎美子でありつづけているところが並みのアイドルではなかったと改めて思い知らされている。

Pikapika今のアイドルグループは、その若さゆえに出来ること、また挑戦したいと思ったことを選択したに過ぎない、青春の思い出づくりかもしれない芸能界入り。確かに多くのメンバーの中で個性を出そうとすればするほどにジレンマがあることだろう。だから踊りや歌と言ったジャンルとは別の女優を目指す者、お天気お姉さんになる者、局アナに挑戦する者・・・等などとアイドルという旬の時期を過ぎた後を準備し始める。芸能界という麻薬にも似た刺激と感覚、また博打にも似た成功と失敗の表裏一体の挑戦する遊び心がなせる技なのか、あとからあとから蜘蛛の糸を昇ってくる者が後を絶たない。確かに自分から芸能界に飛び込んで来る者、街で声を掛けられスカウトされると共に芸能界への一歩を踏み出す者がいる中で、この“勝手にしやがれアイドル考”で取り上げた宮崎美子は、学生時代の思い出づくりとしてある種「AKB48」よりも軽いノリで週刊誌の表紙に登場したはずが、そのまま自分自身の魅力も運命も知らないままにプロたちの手によってプロフェッショナルなタレント、女優になった希少価値のある本物のアイドルと言えるだろう。そうそう、気が付けば「なんで私はここにいるのだろう」と思ってもいるに違いない。運命そのものがアイドルを創り、またその運命に翻弄されながらも自らが成長し、プロフェッショナルな生き方を貫くことになることの一例でもある。私と同世代、社会人としての同期と言える彼女の活躍を見守り、同じ時空を生きていることにただただ感銘を受けるのである。それもまたアイドルなのかもしれない。(おわり)