2012年は国生みの地からスタート(番外編)

徳島のうだつの町並みを訪問で、さらなる自身の意識改革、固定観念の払拭が強まり、私と言うプランナーの新たなうだつを上げる決意ができた!
“うだつが上がらない”という言葉があるが、働いてお金を稼ぎ、家を建てる際に“うだつ”を備えた大きな家を建てろと言う戒めでもある。とは言うものの実際にはマンションの一室に住んでおり、“うだつ”は上がらないが、最近は3階までの階段で息があがる。しかし、最近の一戸建て家屋でも“うだつ”は、そう簡単には作れないし、構造上において作ることも減ってきている。その意味で威勢を張るような“うだつ”を観るのも楽しいわけだ。地元・奈良にあっては、橿原市の今井町、五條市の新町、宇陀市の大宇陀、そして大和郡山市内の城下町を歩いた際にも、幾つかのうだつを見つけたが、ここに“うだつ”があると主張し、また数え切れない数を見たのは、徳島での元旦だったと言える。東かがわ市での初詣を終えた午後、旅館に戻るまでの寄り道にて出かけたのが脇町うだつの町並みだ。
徳島にはこの脇町以外にも、「貞光町二層うだつの町並み」や「池田町うだつ通り」がある。今回は時間的に脇町だけしか出かけられなかったが、また近々に徳島県を訪問し、再度のフィールドワークを試みたいものだ。ここで少し“うだつ”を解説・・・もともと防火用の袖壁として造られたもので、やがて富や地位象徴となり各家が競うようになったという。現在、脇町には約50のうだつがあり、“うだつが上がらない”の語源はここから始まっている。まぁ、初詣で一年の繁栄と富を願ったことでもあり、実際に富が入れば“うだつ”を上げるという意味を自らが認識する上で、元旦での脇町レトロ散歩は意味があった。
徳島市内からは、徳島自動車道の徳島ICから走り、脇町ICで降り、国道193号線、県道12号鳴門池田線を走れば脇町うだつの町並みに到着する。江戸から明治時代にかけての建造物が多く、その意味で私が研究する近代産業遺産にも含まれる。元来は吉野川の水運を活かし藍商の集散地として栄えたのが脇町で、“うだつ”を上げた藍屋敷や町家が約400mに渡って建ち並ぶ南町通り界隈は、まるで時代劇のオープンセットを思わせる。もちろん“うだつ”以外にも、虫籠窓や格子戸などに往時の風情を感じる。まぁ、青空の下でセピア色の町並みを散策するほど気持ちのいいものはなく、タイムスリップしたようにプチ江戸の町人、プチ維新の志士になった気にもなる。大学時代には年間300本の映画を観ることを4年つづけたほどの映画好きで、その頭に映像として描く空想、妄想、想像力は自分を過去にも、未来にも、また異次元にも連れて行ってくれる。特に脇町はその時空間が広がり、記憶と記録がびんびんと伝わってきた。

そんな江戸・明治期の脇町の通りを歩くこと1時間。ただ表通りを垣間見ているだけでは面白くもなく、狭い通路、横道、裏道にも逸れつづけると、そこには古い家屋と共に、また新しい現代的な家屋も見られる。確かにこのような伝統的建造物を保存し続けることは並大抵ではなく、特に重要伝統的建造物群保存地区に指定されていればなおさらである。まぁ、屋根を葺くことも、壁を塗り替えるのも、すべてが高額であり、また行政に相談をすることとなり大変煩わしいことと言える。そんなことを思いつつ裏道を進んだところにて火事場を発見。もともとバイク屋なのか、また自動車の修理工場かとも思われる一階の作業場あたりが出火元のような火災のあった二階建て家屋を見つける。木造建てでもあり、一度火が付けば一気に火力が高まり、その周りの建造物に火の粉が飛ばないかと家人は冷や冷やだったに違いない。
通りには何軒かの喫茶や土産物屋なども観られたが、京都の町家の連なる通りほどには、まだまだ開発の手が伸びておらず、保存と活用の両面での矛盾はあるものの、今後は商業用にも活用され、ある種の収益性・経済効果も見込む必要があると思えた。なんやかんやで通りを抜けて、柳がそよぐ大谷川沿いに洋館建ての芝居小屋を発見する。どこかで見かけた、その建物は、脇町劇場「オデオン座」で、昭和9年に建てられ、平成7年に閉館するも、山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」の舞台になったのをきっかけに、昭和初期のレトロな雰囲気に修復された。場内は直径6mの廻り舞台や花道があり、また2階席もある劇場で、入場料200円で見学できるのだが、この元旦の日は営業がされていなかった。まさに近代産業遺産であり、シネマーケティング(映画を使った地域振興)として、どっこい活躍している姿はまばゆく映った次第である。
まさに4回に渡って紹介した年末年始の阿波・淡路島への旅行は、自身のイベントデビューの地・徳島に留まらず、淡路島(兵庫)・東かがわ市(香川)の3県をまたがり、例年になく穏やかで華やいだ正月を迎えたと言える。すでに4日から初仕事を皮切りに、2012年の意識改革、自身の固定観念の払拭、なによりも12年に及ぶ封印が解かれたことで、もはや昨年までの自分でないことを自覚するのである。まぁ、今までの私を知る方々には、この2012年型企画脳を持つプランナーにリセットした後の私と会えば、その意味、そのわけが一瞬でわかると思うが・・・(笑)



















































