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2008年12月15日 (月)

道頓堀「浮世小路」に良き時代の大阪を見る!

081127_124403_2六年越しの大事業<浮世小路復元計画>ほぼ完成とのこと、ミナミ界隈の有名店や芝居小屋等の撤退・廃業が相次ぐ中、どっこいこの小さな路地裏に隠された“1路48メートル”の大阪の元気が濃縮されている!
慌ただしい年の瀬、不況の所為かいつもの年に比べて寒さがグーンと増したようにも感じられ、粉雪が舞い散る夕暮れ時に道頓堀通りを歩いていれば、きっと吸い込まれる時空間がある。それが道頓堀通りから南、法善寺横丁に抜ける人が一人通れるかわからないような細い路地の「浮世小路」がこのたび完成したと聞く。それに携わったアーティスト本人から聞いたもので、多くの人々の善意と熱意がそこには混在し、さらに良き昔の大阪の風情をまるで“のぞきからくり”を見るように歩くだけで体感できる。道頓堀通りや火災にて焼失、そして、再建した法善寺横丁は、“五座”が無くなると共にかつての存在理由(芝居茶屋などの芝居小屋との共生)を失い、単独にて“大阪らしい繁華街”という新たな大阪ミナミの顔をもたなければならなくなったのである。

081127_124401 この「浮世小路」は1.2メートル、長さ約48メートルの路地で、道頓堀側にある老舗うどん店「今井」とパチンコ店「四海楼」の間から、横丁の洋酒店「路」の軒先をつなぐところである。街並みを再現したのは企画プロダクションを経営し、若い頃はテクニカルイラストレーター、そしてTV番組や催し物などを多数、企画・演出する敏腕プロデューサーの吉里忠史さんで、私もそれに関わったアーティストの関本徹生氏(京都造形芸術大学教授)を介して知っているお方である。もともとこの計画は、吉里さんの長年念じて来た夢の夢であり、あの中座の火災(平成14年9月9日未明)に伴い、法善寺横丁に被害が出た折に、その願いはさらに高まったとされる。

たまたま別なる仕事で購入していた季刊誌『大阪春秋』112号(平成15年9月19日発行)の「特集・法善寺横丁界隈」にこの計画が掲載されており、平成14年に“何故か法善寺横丁を取材したい”と思い立った、ということも書かれている。元来、天王寺生國魂神社のそばで育ち、そして幼いころから親に連れられて法善寺横丁・道頓堀・前日前に出かけていた吉里さんであり、また多感な少年期・青年期を法善寺横丁・道頓堀の音楽喫茶で過ごし、そして成人以後もミナミを愛し、通い詰めた中で、とくに法善寺横丁・道頓堀は別格なる存在であったそうだ。まさに大阪人の“ふるさと回帰”として、「浮世小路」を江戸から昭和初期のムードに復元したい・・・との思いで資金集めに回り、地元商店会メンバーらの協力も取り付け、レトロな街並みを蘇らせる環境を整えたと言える。

この「浮世小路」は、“新世界”“銀座”などと同じく、地方都市においても同じ名称の路地裏を見ることができる。しかし大阪においては、通称“浮世小路(うきよしょぉじ)”と呼ばれたものが別にある。船場の中心高麗橋通と今橋通の間に一間半程の小路、市内地図にも名前の載らない通路で、文献によると「船場に小路四所(ところ)有りて云々。淀屋小路・衣張小路・御前小道と此処(ここ)、他に狐小路も・・・」とあったとか。
17世紀後半の寛文・貞享の頃は、小路両側に質屋・売ト(ばいぼく)・寺小屋・米屋・風呂屋・油屋・色宿まで軒をあらそい、家建ち集い実に浮世のありさまを目の当たりに見渡す故(ゆえ)をもって浮世小路と唱えたそうだ。

081215_093201 さて道頓堀の道幅が1.2メートル、長さ約48メートルしかない路地裏「浮世小路」に話を戻そう。よくよくこの狭苦しいと言えそうなビルや建物の隙間などは、住宅街などにも見受けられるが、そんな空間を愛おしく、また大阪らしさを演出することが果たして出来るのだろうかと思っていたが、完成したその姿は実におもしろい。ごちゃごちゃしているようにも見えるが、江戸から昭和初期の大阪の雰囲気が描かれているし、また壁新聞ならぬ平面表現に限界はないのかと心配もしていたが、さすがに空間アーティストであり、別名“妖怪アーティスト”なる呼称もある芸術家・関本氏らしい創作物が所狭しと造られていることに驚かされる。もともと吉里さんをはじめ「浮世小路復元チーム」のメンバーが思い描いた<浮世小路復元計画>にも合致しており、それ以上の出来栄えにさぞかし関わった方々も満足だろう。

先日、法善寺横丁・道頓堀界隈の一人フィールドワークを行った際に、まだ午前中の早い時間に「浮世小路」に出かけたもので、提灯の明かりやセンサーで語る案内などもない状態に体感してしまい、「面白さも半減」と言われたが、それはそれで人通りの少ない時間帯での散策は情緒がありいいもんだった。小路のいたるところに仕掛けられた大阪人特有のウイットに富んだ演出に心が踊る。実物と見間違うほどの猫の造作物が壁を相手に爪をといていたり、またその猫が魚をくわえて屋根を走っていたり、さらにはこのあたりに芝居小屋、寄席小屋があったというポスター等の掲示やカフェの店内を描いた平面立体なるオブジェがどえらい個性で語りかけて来る。その中に、この小路を守る鎮守となる小さな社(やしろ)を発見した。その小さな神社は文字通り小さな「一寸法師」を祀ったもので、その起源は御伽草子で、室町時代の後期に成立した話のようだが、一寸法師が椀に乗って、箸の櫂を操り、京を目指した場所が「難波の浦」という伝承から、現在の道頓堀川が一寸法師との関わりのある土地というのである。これに関連した「お椀の舟競技」なるイベントなども開催されているが、こんな小さな路地裏のこんな小さな神社(祠)に、小さな一寸法師を祀ろうなどとは想像もつかないことである。まさしくオモロ~イ、おもろすぎる時空間が広がる。

081127_124402 最近には旅行会社もこの「浮世小路」を観光ルートに取り上げており、この無料にて観て回れるお得な観光名所は、もっとも大阪的で、さらにタダは嬉しいと次々と観光客の団体が押し寄せているそうだ。来春には大相撲の春場所(大阪場所)もあるが、決して相撲取りの皆さんはこの「浮世小路」に足を運ばぬよう警告申し上げる。あまりの狭さに、万一入り込んで、その途中にて挟まったらおおごとである。身の危険を感じるキングサイズの方々は、たとえ法善寺横丁への近道と言えども通るのは命取りになるだろう。胴周りが1.2メートルを超える方、さらにその中で二人の大人がすれ違うことができないと判断した方は、たとえ小路の真ん中近くに来たとしてもバックしてください。オライ、オ~ライ、バック、バック・・・・大阪ミナミの新名所誕生!
●参考資料:季刊誌『大阪春秋』(112号/平成15年9月19日発行)より抜粋。

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