CMテープ9000本発見は奇妙?
広告の真髄はまさにその一瞬一瞬を捉えたエスプリと潔さである。あくまでも芸術家のように作品を創っている意識はなく、時代のメッセージを届けているに過ぎない!
確実に広告業界は、ネット社会へと激変する中で大きな転換期を迎えている。特にマス四媒体そのものがここ数年弱まっており、それら媒体と共にある広告代理店そのものも厳しい現実の中にいると言えるだろう。特にテレビCM等は、最も全盛期とも呼べる1970~1990年代はクリエイターたちの力量と共に、最も花開いた時期だったように思う。そんなテレビ・ラジオの全盛期のCM等のテープ9000本が発見されたというニュースが飛び込んで来た。それは下記の通りである・・・
●「出前一丁♪」も・・・CMテープ9000本発見
シャープや日清食品といった関西の大手企業をはじめ350を超える会社や団体のテレビ、ラジオCMなどのテープ類約9000本が、大阪市の倉庫で見つかった。
CMテープは放送後に廃棄している例も多く、調査した大阪市立大の土屋礼子教授は「メディア文化の発展を研究する上で貴重だ」としている。
大阪に本社のあった広告会社「萬年社」が制作にかかわった資料で、約4000本がテレビCMなど画像テープ、約3700本がラジオCMを含む音源テープ。1970年から90年代のものが中心だ。
先行調査したCMには、「育って育って食べ盛り」と歌手の大滝詠一さんがCMソングを歌う日清食品の即席めん「出前一丁」、歌手のピンクレディーが声の出演をする「日清焼そばU.F.O.」など懐かしいものが目立つ。
99年に萬年社が自己破産した際、散逸を防ぐため経済人らが買い取り、資料類を大阪市に寄贈していた。
・・・以上、読売新聞(12月29日、11時27分配信)の記事より引用。
まさに大阪市内の倉庫から予期せぬ9000本のCMテープが発見されたと言った大スクープのような記事だが、よくよく続きを読むと99年に倒産した萬年社の所有するこれらCMテープが散逸するのを経済人が買い取り、そして大阪市に寄贈していたという話であり、初めからそのCMテープの保管場所が明確だったことが分かる。そして、先の11月28日に大阪市立大学交流センターホールで“関西広告史に関するシンポジウム「萬年社コレクション調査研究プロジェクト報告会」”が開催されており、この発見されたとあるCMのビデオ・テープ類のことがすでに報告されているのである。だから、単なるパブリシティーとしての記事と言えるだろう。
下記の11月28日の「萬年社コレクション調査研究プロジェクト報告会」の案内文を読むと、なぜ今、このような記事が出されたのかが分かる・・・
「萬年社は、1890年(明治23)に高木貞衛が創業した大阪を代表する広告代理店として、また電通や博報堂と並ぶ日本を代表する広告代理店として百年余り繁栄したが、残念ながら1999年倒産し、その一世紀にわたる歴史を閉じた。その所蔵資料は広告史、メディア史研究及び大阪の産業史を研究する上で非常に貴重なものであり、これを大阪市立近代美術館(建設準備室)が購入し保管している。その資料のうち、ビデオ・テープ類および紙・印刷資料類の整理を広告史の研究プロジェクトとしてすすめ、目録を作成し、大阪の広告史に関する共同研究を進めつつある。
これまで戦前・戦中期の広告史研究を進めてきた大阪メディア文化史研究会が共同研究の母体となり、大阪市立大学を拠点に、吉田秀雄記念財団から研究助成を2009年度より二年間の予定で得ている。この会では、過去一年にわたる調査研究プロジェクトの概要とこれまでの成果のあらましをご報告したい。」
つまり“大阪市内の倉庫で見つかった9000本のCMテープ”は、もともとから大阪市立近代美術館(建設準備室)が購入し、保管していたと書かれているし、また今年から吉田秀雄記念財団の研究助成の対象にあり、その報告会にて成果を発表した際、今回ニュースリリースとして新聞社に持ちかけたのじゃないだろうか。パブリシティーやペードパブなるこのような手法は、活動や取り組みを注目させ、関心を高める効果があり、よくつかわれる手法でもある。ただ発見された9000本のCMテープに関する肖像権、知的所有権等の権利面はどこにあるのかが重要であり、最近発売された資生堂CM映像のDVDのようにオープンにするには、かなり調査・研究、そして交渉が必要となってくるだろう。
だが今回のCMテープというコンテンツはまぎれもなく近代産業遺産に含まれる貴重な資料であることに変わりなく、特に我が国の広告代理店の先駆けでもあった萬年社のものだけに、その希少価値は大いにあると言える。特に1999年に倒産に至るまでのCMテープが多く残されている点でも興味があり、本当はある人を介して大学卒業後、萬年社に就職をするはずが、ある手違いから断念した過去もあり、またプランナーとして独立後に幾人かの萬年社の方々と仕事をする機会もあっただけに、懐かしい社名を久々に聞いたところである。
私たちクリエーターは、その一瞬一瞬、またキャンペーンやセール期に合わせた短命な広告物を創作することに意欲を示し、その露出や出稿の中で効力を発揮するように全霊を傾けて創っているが、確かに掲載やオンエアーが終わったものに関しては無頓着である。芸術家たちと違って、作品ではあるが愛着もそのままに記憶から消し去り、次なる仕事に入って行くあまり、そんなCMテープの存在すら忘れていることが多い。プランナーである私も幾つかのCM用の企画書や絵コンテ、シナリオ、キャッチコピー等を書いているが、広告代理店に渡したままで紛失したものも多く、また押入れの膨大な資料の中にあったとしても、そのまま何年も開けずに保管されている。特に各地で開催したイベントの企画書や進行台本、進行マニュアルの類は膨大で、現行のデジタル保管分と合わせても数え切れない本数となる。
つまり広告・イベントは、一種の祭りであり、“祭りの後の静けさ”のように過ぎてしまったものの憐れにも似た潔さが必要と考える。半年、一年を共に過ごした博覧会のコンパニオンたちは閉幕と共にやり遂げた達成感や一緒に頑張った仲間と別れを悲しみ涙を流すが、我々のようにそれを仕事にしている者は、また次なる事業への準備や調整が待っているもので、いつまでも固執し、感傷に浸ってもおれないというのが本当のところである。それを考えれば、今回発見された9000本のCMテープは研究者にとっては貴重なる宝の山と言えるが、それを手掛けた現役のクリエーター達にとっては過去の産物の何ものでもないと言えるだろう。確かに一時代を切り取ったCMの面白さはあるが、まだまだ続き、変化をしつづけるCM業界において、それら当事者たちの通過点でしかないことが言える。
最後に現在、NHKのドラマスペシャル「坂の上の雲」で話題の正岡子規の短歌の中から広告を描写した面白いものがあったので書き留める・・・
●「汽車とまる ところとなりて 野の中に 新しき家 広告の札」
(解説:明治32年、子規が亡くなる3年前の作品。広告の札というのは看板かポスター。都市化が進んで郊外にサラリーマンの家が建つようになり、そこに広告が現れたと描写する)
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